愛宕山鉄道廃線跡

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京都「京福嵐山」からその北西にそびえる愛宕山に向かってかつて鉄道が延びていた。清滝までの平坦線と愛宕山を目指す鋼索線があった。どちらも昭和4年に開業したものの第二次大戦に入って鉄供出のために昭和19年廃線となった。廃止になってもはや60年以上経っておりその痕跡を探るのは難しい。

平坦線(という名前だが歩くと結構上り勾配の連続である)は途中「釈迦堂前」「鳥居本」の2駅あった。だがほとんど全線が道路へ転用されており駅跡はおろか線路の痕跡は全くない。道路幅からみると複線だったと分かる。ところが唯一つ残っている痕跡がある。清滝トンネルである。現在これも道路の一部として使われているが、坑道の高さが自動車用にしては高い。どうみても電化鉄道用の物である。なおトンネル部分だけは単線であった。そのため道路となった今でも坑内片側通行で双方入口には信号がある。トンネルを出てすぐ終点「清滝」である。今はバス発着場となっている。

清滝駅跡から細い道を10分ほど歩くと小さな神社の横に壊れかけた石段がある。これを上ると傾斜のある空き地へ出る。これが鋼索線の起点「清滝川」駅跡である。こちらは痕跡は割りとよく残っているが、歩くには忍耐の要る野草の生い茂る踏み分道で少し上っていくと立ち入り禁止となっている。その先に一番目のトンネルの入口が見えるが安全とはいいがたく探訪を断念。資料によると途中5つのトンネルを越えて頂上「愛宕」駅に至ったようだが完全に自然に帰した今その場所に誰も近寄らない。写真は清滝川跡から少し上ったところの線路跡である。

戦争さえ起こらなければ生き残っていたかも知れない愛宕山鉄道。やはり戦争は罪である。