名鉄挙母線跡を歩いた

名鉄挙母線は三河線挙母から分岐して岡崎市大樹寺まで伸びていた延長約11kmの路線だったが国鉄岡多線(当時・現在の愛知環状鉄道)建設に伴い路線が重複するため1973年に廃止になった。もはや廃止後43年を経ているがいくつか痕跡があることを知り訪れた。

 

起点・上挙母
イメージ 1

駅の知立寄りに左方へ分岐する線路が残っている。現在は繋がっていない。

 

路線跡・1
イメージ 2

線路跡とわかる細い道路が南へ向かって伸びているがほどなく愛知環状鉄道の敷地に合流する。次の三河豊田駅までは完全に愛環の線路に変わった。

 

線路跡・2
イメージ 3

三河豊田駅の場所に挙母線の「トヨタ自動車前」駅があった。その先で経路は分かれ愛環はまっすぐ西南へ向かうが拳母線は東南方向へ向きを変えた。拳母線跡はすぐに国道248号線と交差することになるがその先はサイクリングロードに整備されていてわかりやすい。拳母線跡地という表示もある。

 

渡刈駅跡
イメージ 4

サイクリングロードをずっと進むと駅跡地に駅舎を模った休憩所や架線柱を模った支柱が建てられている。往時の駅舎ではないが「渡刈駅跡」と大きく書かれている。

 

新東名とぶつかる
イメージ 5

渡刈駅跡から数百mで新東名の前に出てサイクリングロードもここで途切れ直進できない。

 

新東名の裏側
イメージ 6

裏手へ回るとこのような石碑が置かれている。しかしそれと思えるような道は見当たらず線路跡の痕跡もわからない。かつては盛り土の築堤になっていてその先にある矢作川を越えていたらしい。

 

線路跡・3
イメージ 7

矢作川を越えて1kmほどのところに「細川」という駅があった。そのあたりで見た線路跡らしき道。矢作川岸から続く築堤跡とみられる木立からまっすぐ伸びてきているのがわかる。だがここから先は線路跡らしきものを見出すのは困難であった。

 

大樹寺駅跡地にある名鉄バスターミナル
イメージ 8

細川から先痕跡らしきものを見つけられぬまま大樹寺駅跡へたどり着いた。拳母線はここで終点だったがその先に1962年までは名鉄岡崎市内線が続いていたというがもうその跡などほとんどないというのでここで探訪は終了した。
注・正確には大樹寺の一つ先の岡崎井田までが拳母線だったのだが実際はその区間岡崎市内線の一部とみなされ拳母線の電車は走らず、1962年に岡崎市内線と共に廃線となった。

 

2017.6.4歩