玉野市電路線跡をサイクリング

「宇野」と「玉」という2つの町が合併してできた玉野市には1972年まで両地域を結ぶ市電が走っていた。市電と言っても国鉄宇野駅から伸びていた専用線を第二次大戦後、市民の足として転用したもので路面電車ではなく郊外電車的な形態だった。1953年開業当初「備南電気鉄道」という民営の鉄道だったが経営が思わしくなく3年で玉野市に譲渡、以後市営として営業を続けたがやはり赤字から脱却することなく山陽新幹線岡山開業となったその年に廃止された。廃止されてもはや42年もたつが路線跡の大部分が自転車道として整備され探索は容易だという。宇野まで来て少し時間がある。駅構内の観光案内所で自転車を借りて路線跡を走ってみよう。

 

宇野駅出発
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市電宇野駅国鉄駅に隣接して建っていた。現在JR駅舎の隣にある交番が市電駅舎のあったところといわれる。ここから市街地に背を向けるように大きく北に迂回してから玉地区のほうへ向かう。

 

トンネル
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玉野市は街の真ん中にも低い山がポコポコ立っていてトンネルを掘る必要もあった。それでもなぜわざわざ迂回してまで山のある場所に線路を通したのか不思議でならない。住宅地の中を通ると騒音や排気が問題になると思ったのだろうか。

 

自転車道(宇野地域)
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このように線路跡の大部分が赤茶色に舗装された自転車道に整備されている。このようなポプラ並木になっているところもある。

 

海岸付近
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トンネルを3つ抜けると海岸べりに出て様相が変化する。線路の用地確保に苦労したのであろう。運河の上に道床を作り線路を敷いた。その向うは玉野市随一の企業である三井造船の工場敷地である。

 

玉駅跡
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このあたりが玉地区の中心で休憩所になっているところが玉駅跡である。線路は三友不動産ビル手前の白い柵に沿ってついていたらしい。ここで路線は北方向へ向きを変え奥玉地区へ向かう。

 

自転車道(玉地域)
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やはりこの辺も線路用地確保が難しかったと見え川の上に線路を引いている。電車を走らせるとなるとそれなりの強度を持たせる必要があり難工事だったと思われる。変電所の前を通る。この路線、当初は電化されていたが後に経費節減のため非電化となった。

 

終点玉遊園地前付近
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白い舗装の途切れるあたりが玉遊園地駅のあった場所で駅名の由来である児童公園が現存している(この地方では児童公園を遊園地と呼ぶ習わしがあった)。宇野駅からここまで4.7km、中途半端な場所である感がするがもともとは児島半島を半周して倉敷まで結ぶ遠大な計画があったのだ。その暁にはTDLみたいな遊園地になっていたかも?

 

保存車両
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玉遊園地駅跡からさらに300mほど進むと「奥玉すこやかセンター」という公共施設がありその一角に旧高松琴平電鉄760号車が保存されている。これこそがその昔玉野市電で使われていた車両で1964年非電化に伴い不要となったものを琴電に売却したのだ。2006年琴電での運行終了となり地元有志の力により当地への里帰りを果たした。しかし原状復元はなされず今も琴電時代のままの形態であるが正面に「玉野市電103」と表記がある。

 

2014.10.20訪問

 

おまけ/琴電時代の写真
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琴電に引き取られた旧玉野市電は3両あり750形を名乗ったがそのうちの1両750が長尾線で走っているところを見ている。この車両は1999年まで使われていた。
1977.3.29 瓦町付近にて