2006-01-01から1ヶ月間の記事一覧

80年代の名鉄 ⑧小牧線その4

1987年6月・小牧原~小牧間 これも前回の味岡駅と同じ日に撮ったものです。味岡駅とともに小牧原駅も高架化されましたが地上駅最後の頃です。もうすぐ横の新線に移行という直前ですので旧駅は遠慮したように小さく建っていました。小牧原~小牧間もこの頃は…

80年代の名鉄 ⑦小牧線その3

今回は味岡旧駅の写真です。 1987年6月に味岡駅は高架化されました。切り替え直前の地上駅の姿です。単線で一面一本の小さな駅でした。すぐ横に工事中の高架線が建ち今にも踏み潰されそうな雰囲気でした。やっと小牧線で3700系以外を写した写真が出…

何気に言っているけれど…

子供の時に見た古い映画のことを思い出し、何か情報が見つからないかとインターネットで検索した。日本の少年が旧ソ連にいるという父親を探して彼の地を旅してモスクワまで行くという「母を訪ねて三千里」みたいな話だがその題名がうろ覚えで確か 「小さな逃…

80年代の名鉄 ⑥小牧線その2

先の上飯田駅に続き起点の犬山付近での写真も出しておきます。今見返してみると写っているのは3700系ばかりなのがやや興ざめです。日ごろ眺めていたら3800系を初めとするつり掛車(そのなかにはいもむしやなまずもいた)、たまに7300系、ごくたまに6000系の2…

所持品・高麗青磁白黒象嵌花弁文鶴首瓶

所持品の紹介ひとつ忘れていました。4年前ネットオークションで手に入れました。何でも出品者さんのおばあさんが集めた遺品のひとつだそうです。「キズのない完品で美品です。実に美しい色目で端正な姿をしております」との触れ込みで食指が動いた。ネットで…

80年代の名鉄 ⑤小牧線その1、上飯田

名鉄小牧線は今でこそ名古屋市交との乗り入れで都心への連絡がスムーズになったが、3年前までは上飯田という名古屋市の北のはずれで終点だった。かつて市電がここから中心部に伸びていたのだがそれが廃止になってからは他の路線とは孤立した存在だった。そ…

強迫性障害は治ります!

田村浩二著 ハート出版 1300円 ある体験者の苦悩と快復した喜びの報告 強迫性障害とは不合理あるいは無意味な思い込みに本人自身が束縛されて、不可解な行為を繰り返したり続けたりする症状といえよう。自分自身が不愉快・不都合・恐ろしいと思えるような考…

80年代の名鉄 ④国鉄広見・名鉄新広見

名鉄広見線が出たついでなので広見駅を訪れた時の写真もお見せしよう。ここまで出した写真よりさかのぼる事4年前、1982年3月のものである。この駅の所在地はそれまで岐阜県可児郡可児町だったが4月から市に昇格となり駅名も広見・新広見から可児・新可児にそ…

こんなの流行りました。

東京オリンピックのあった1964年に子供たちに流行ったものがありました。 ワッペン 5角形またはU字形のフェルト生地に模様を縫いこんだものだ。どこかの食品会社が懸賞の景品として世に出したのが始まりだったと思う。それがあっという間に広まり応募に必要…

80年代の名鉄 ③広見線明智にて

八百津からレールバスに乗って帰途に着いた。この列車は明智行きのため乗り換えなければならない。広見線明智はの御嵩行きと八百津行きの分岐駅である。もとは伏見口という名前だったが近くに明智光秀の出生地である明智城址があることから改称された。旧名…

虚実は相反する概念か?

東洋医学で病証を表す言葉に虚と実があり反対語として捉えられてきたがどうも最近そうともいえないように思えてきた。手元の医道の日本社「鍼灸医学辞典」によると 虚==生体機能が衰えた状態。外邪におかされて体力が弱ったり、久病で衰弱したときの状態が…

80年代の名鉄 ②八百津線

御嵩から北に県道を通って山を越えると八百津に着く。八百津は木曽川中流にできた集落で近くには蘇水峡という名勝がある。かつてここまでは名鉄八百津線が来ていた。ただし駅は町外れにあり中心地へは木曾川にかかる橋を渡り1kmほど歩いたところにある。…

柳宗悦の民藝と巨匠たち展へ行って

きょう京都文化博物館で開催中の同展を見に行った。柳宗悦(1889~1961)は民藝運動の創始者として知られ、それまで芸術や美術の対象となりえなかった無名の職工たちが作った生活民具の中に美の存在を見出した。陶芸だけでなく漆器、絵画、家具、仏像、染物…

80年代の名鉄①御嵩駅1986

30年前が出尽くして今度は20年前の写真を出していこうと思う。1986年縁あって愛知県に新たな仕事を見つけそれから3年間愛知県民となり名鉄沿線住民となった。もちろん鉄チャン気質は収まる事もなくかの地の電車を撮りだめた。その日々のことは昨日のことのよ…

珍豪ムチャ兵衛

森田拳次というと筆頭に上げられるのは少年マガジンに連載された「丸出だめ夫」だがその後継作品として発表されたのがこれである。関が原の戦いが終わり徳川の世になったが、江戸の下町に傘はりの内職で生計を立てているムチャ兵衛という浪人がいた。そして…

歌会始に倣い一首

今日は歌会始が皇居で行われた。昨年のお題「笑」に従って全国から寄せられた中から選ばれた10人の選者の歌が皇族な方の前で詠まれた。今年のお題の字の性質上どれもほほえましい情景を描いたものが多かった。皆が笑って過ごせるような楽しい世となることを…

30年前の写真2006・その9クヤ153

1960年代に登場した153系電車は東京~大阪間を結ぶ急行列車用として東海道を往復していた。その編成たるや一等車やビュフェを2両ずつ組み込んだ12両編成だった。東海道新幹線ができて大半は役目を譲ったがそれでも「なにわ」「東海」「比叡」とい…

世界一周!大陸横断鉄道の旅

櫻井寛著 PHP新書361 2005.8.31刊行 800円 著者は写真家として世界を旅しているが、もちろん鉄道の愛好家である。世界には日本では味わえない長距離を走る列車がある。アジア、北米、オーストラリアの各大陸を3泊以上かけて走る大陸横断列車だ。ここ…

30年前の写真2006・その8能勢電鉄

今日のニュースによると投資会社のプリヴェが阪急HDの発行株式の5.10%を取得して同社の筆頭株主になったことがわかった。昨秋の村上ファンドによる阪神電鉄株の買占めに続いて関西の私鉄企業が狙い撃ちされている。阪神にとってのタイガースと同様阪急の…

30年前の写真2006・その7京福電鉄三国芦原線

私は今年50歳になります。つまりここで出している30年前の写真は二十歳になる年に撮ったものです。今まで記事を書いていてなぜか路面電車が多いと気付いたのですが、前にも書いたように線路に沿ってテクテク歩きながら撮った写真が多くて必然的にそうなった…

30年前の写真2006・その6福井鉄道

尾小屋の帰り福井で途中下車した。ここでも例によってテクテク歩いている。福井駅から道路上の福井鉄道に沿って福井新まで撮りながら歩く。ここの電車は福井市内で路面を走っているのだが、武生までを結ぶ郊外電車の性格を有しているので背の高い大きな車体…

30年前の写真2006・その5尾小屋の古いレール

下記の記事で尾小屋鉄道の写真を載せています。 http://blogs.yahoo.co.jp/d19756236/3751703.html?p=6&pm=l この写真も30年前の1976年5月15日のものです。鉄道好き仲間と尾小屋鉄道に乗りに行きました。行きは起点の新小松から終点の尾小屋まで一気に乗りま…

30年前の写真2006・その4京都市電今出川白川線

久々に地元京都のものを… 1970年代になってから他の都市に倣うかのように京都の市電も廃止が相次いだ。70年伏見線、72年四条・大宮・千本線、74年烏丸線。そして76年3月末をもって今出川・白川・丸太町の三線が廃止され、その所管である錦林車庫も廃止となっ…

30年前の写真2006・その3九州の国鉄気動車

1976年3月の時点では長崎本線・佐世保線、日豊本線宮崎以南はまだ未電化。ましてや筑肥線電化などまだ先のこと、豊肥本線や筑豊本線電化にいたってはJRになってからのこと。それから北九州地区には網の目のように張り巡らされた未電化ローカル線があった。…

30年前の写真2006・その2熊本の電車

この年の九州旅行では熊本にも寄っている。二十歳前で元気良かったのだろう。路面電車の走っている都市では路線に沿ってテクテク歩いていた。熊本駅で降りてから市電に沿ってなんと水前寺公園まで歩いたようだ。その上市電だけでなく藤崎宮前まで行って熊本…

30年前の写真2006・その1西鉄福岡市内線

昨年に30年前の写真として1975年に撮った写真をご覧頂きましたが、年が改まり1976年に撮った未発表のものをいくつか出させていただきます。年月が経って変色してお見苦しいものが多いですがご寛容ください。まずは福岡市内線です。昨日西鉄を出してますがあ…

家内安全、学業成就!

皆様、初詣はもう行かれましたか。そしてどんな願い事をなさったでしょうか。受験生の方はやはり天神様参りでしょうね。 東風吹かば思い起こせよ梅の花、主なくとも春を忘るな 私は20年前の1986年1月2日に家族と新幹線一日乗り放題切符を使って日帰りで福岡…