何気に言っているけれど…

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子供の時に見た古い映画のことを思い出し、何か情報が見つからないかとインターネットで検索した。日本の少年が旧ソ連にいるという父親を探して彼の地を旅してモスクワまで行くという「母を訪ねて三千里」みたいな話だがその題名がうろ覚えで確か

  「小さな逃亡者」

だったと思いそれで検索したのだがヒットしたのは全く別の外国の小説のことばかりだった。最初そんな古い映画誰も取り上げないのかと思ったが、ふと思って

  「小さい逃亡者」

にして再検索したら、お~~っ、いろいろヒットした。やはり覚えている人はいるのだ。

 

ということで振りは映画のことだったが今お話ししたいのはその映画のことではなく、「小さな」と「小さい」のことが妙に気になってきたということだ。どちらにせよ終止形は「小さい」であり明らかに形容詞である。さて形容詞の活用といえば中学の時に覚えさせられましたね。

  かろ、かっ、く、い、い、けれ

体言である「逃亡者」に連なるのは連体形である。となれば本来使われるのは終止形と同じ「い」ですね。

 

だから、文法的に厳密に言えば「小さい逃亡者」が正しい使われ方となる。「小さな」では形容動詞の連体形のようである。でも「小さだ」と言うことなどありえない。逆に他の形容詞の事を考えてみよう。「広い海」「美しい海」を「広な海」「美しな海」等とは絶対言わない。だから私が不思議に思うのは「小さい」あるいは「大きい」だけが何故連体形に「な」を使うことが許容されるのか?。古代からそうだったのか?。それともある時期以降の用法なのか、だったらそれはいつのことなのか?。

 

この映画の題名は正しい文法に忠実であったといえる。でも現在私たちの感覚としては語感的に「小さな逃亡者」の方が「小さい逃亡者」よりもしっくりするように思える。だから私も検索の時に始め前者を使ったのだ。いったいどうしてそんな風になったのだろう。果たして「小さな逃亡者」は間違った用法なのだろうか?。この辺詳細をご存知の方是非お教えください。

 

あ、それからこの映画のVIDEOかDVDが出ていないかご存知の方おられませんか?