映画「RAILWAYS」を見て

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子供のころ電車の運転手になりたいと夢を抱いた男子は多い。でもいつか夢のまま置き去りにして現実の世界で生活に追われて大人になっていく。決して子供のころの夢を失ったわけではないけれど現実にはいったんついた仕事を捨てて電車の運転手になるのは不可能に思ってしまう。もしも49歳でその夢をかなえられたらどうなるのか想定するとこのようになるだろうという作品である。

 

現在鉄道はブームが続いておりさらに二酸化炭素排出量が少ないエコな乗り物という見方が広がったため鉄道が見直されることになった。そのような時代だからこそ作られた映画といえよう。一昔前なら子供のころ夢を抱いたとしても大人になるにつれ鉄道とは一時代前の乗り物という認識が強まりわざわざその運転手になるなど時代錯誤的に思ってしまったからだ。今日さまざまな分野で人へのやさしさを求めるようになったが、環境面でのやさしさはもとより地方の小さな鉄道が沿線の人々へのやさしさを持って走り続けていることを知る機会である。

 

さて主人公は大手企業に勤めるエリートで多忙な日々を送るが会社の方針に従ってリストラに手を貸すことになる。そこに私情を挟むこともなく粛々と仕事を進めるが気がつけば自分の家族には見向きもしない毎日。家族の心は離れている。そんなときに実家の母親が病に倒れ郷里へ駆けつける。その中で不況、雇用、家族、介護、地域格差といった現代日本のさまざまな問題を浮かび上がらせる。「会社は誰のためにあるのか?」という問いかけに即答できない社会が作られてしまった。しかし主人公にとってそれが夢の実現へ近づく転機となっていく。現実の社会でいきなりそれまでの仕事を捨てて子供のころの夢の実現に走るというのは御伽噺であるが、どこかおかしい現実の社会を見直す手立てとしてひとつの回答を提示したといえる。それがこの映画の制作者の最も意図するところであろうし出演者はそれをよく理解して演技していると思う。私的には主人公と同期入社の宮田役の三浦貴大が映画初出演ながら好演していると感じた。

 

鉄道趣味的にはこの映画の重要な大道具となる一畑デハニ50型が走るのがひとつの見ものだがその他の現在実際に動いている車両も万遍なく出てきてリアリティを出している。子供に運転機器を触らせたりみだりに列車を遅延させるのは本来あってはならないことだろうが同電鉄が宍道湖畔を優雅に走るシーンが存分に見られ楽しませる。ほかにも京王電鉄での研修シーンなどは鉄チャンにとっても目新しく貴重な場面である。サンライズ出雲も登場し東京と島根の距離感を実感させるのに効果的に使われている。鉄にはまた乗りに行きたくなる演出でワクワクした。 
6月20日観覧

 

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1963,7,24 北松江(現松江しんじ湖温泉