JR赤字ローカル線について

JR各社で乗降客の極端に少ない路線の存廃が取りざたされている。乗客数の減少はモータリゼーション少子高齢化、地方の過疎化などに加えて昨今コロナによる移動制限による鉄道利用の減少が追い打ちをかけもはや一企業体の収益問題を越えて社会問題となている。さて私たちはそもそも鉄道の最も大きな社会的役割は何かという問いにどうこたえるだろうか? 最大公約数的な答えはおそらく生活に根差した地域内の人の移動を担うということではないか? 鉄道沿線の地元の人たちの利便に沿ってダイヤは組まれ列車は運行される。にもかかわらず利用する地元の人はごく限られているという事態は需給バランスを著しく欠いていると言わざるを得ない。どうすればいいのだろうか?

 

ちょっと外国に目を向けよう。どこまでも続く森林の中を走るロシアの鉄道、アルプスの険しい山を越えていくヨーロッパの鉄道、ロッキー山脈のふもとを縫うように走る北米大陸の鉄道、カンガルーやダチョウしかいない広い砂漠を走り抜けるオーストラリアの鉄道。とても沿線に人が住んでいるようには見えず通勤通学商用などの用途に鉄道が果たしているとは思えない。それでも鉄道路線は存在し続ける。それは日常の乗り物としてではなく観光に特化して利用されているからだ。上のどの鉄道も豪華な観光用特急列車を走らせ国内外から主に富裕層の旅客を集めて乗ってもらい非日常を演出する。客は他では見られないような雄大な自然を眺めながら豪華な食事や娯楽を楽しむようになっている。人跡まばらであっても豊かな自然の残る地域の路線を生かすには発想を変えてみてはどうだろうか。

日本は季節ごとに変化のある自然を楽しめる場所は多くそこを走る鉄道路線も多い。先般10年越しの自然災害による不通からの復旧工事が終わり正常運行に戻ったJR東日本只見線などが良い例だろう。私が考えるほかの例としてはJR西日本の姫新・芸備両線による中国山地縦断ルートがそうではないか。通して乗れば姫路から広島まで320kmに及ぶ長大な路線で長距離優等列車を走らせるには十分な距離がある。沿線には美作温泉郷蒜山高原、帝釈峡、比婆山などの観光地がある。起点の姫路、終点の広島とも観光都市としても重要な拠点で新幹線によるアクセスも整っているので他地方からの来訪も容易である。また結節している津山線因美線木次線などとも組み合わせれば岡山・鳥取・松江などの都市との連絡もできる。姫路~津山、三次~広島の両端は一般客の利用もある程度見込めるので生活路線として使いながら共存させればよいが、津山~三次間は地域輸送は地元バスなどに任せて鉄道は思い切って観光列車用に特化させてはどうだろうか。そうすると駅の利用方法も発想を転換させる必要がある。従来のような旅客の乗降場所という位置づけから観光客への集客拠点として活用させるのだ。30年ほど前から鉄道駅に倣って各地の道路沿いに「道の駅」が設けられたが今や道の駅は本家の鉄道駅を凌いで地域案内・店舗・飲食・保養から娯楽・文化交流など施設を備えた集客拠点となり地域経済を支える柱となった。いまこそその形態を鉄道駅にフィードバックさせ地域住民や自治体が支えていく存在にしよう。観光列車は迅速に目的地まで走る必要はない。観光ゾーンではこまめに駅に止まってその地の風物を楽しめるようにすればよい。そこに旅行客は金を落とし大手旅行業者ばかりに持っていかれずに済む。それこそが地域活性化にカギとなり決して地域の衰退にはならないはずだ。地元短距離乗客にいくら切符を売ろうにもその利益は大きなものは望めない。単価の高い、ひいてはアプローチのための新幹線などの他路線の利益にも寄与する収益計算に目を向けることが結局地域の発展につながるのではないだろうか。