近江鉄道は創業120年を超える老舗鉄道だが近年は毎年赤字計上で自社単独での維持が困難(最近このセリフよく聞くが)になり今年から沿線市町村などの支援により上下分離方式をとり列車運行だけに専念することとなった。同鉄道は東京の西武グループの傘下にあり親会社からの支援もありながらこのような状況に行き着いた。思えば西武の創業者堤康次郎この沿線の出身である。この地域は近江商人発祥の地であり丸紅や伊藤忠の前身もここで生まれた。そのような土地柄において近江鉄道の現状に憂いを持つのである。
沿線は米を主とした農業地帯でまたセメント原料の石灰もとれる。近江鉄道は元来そのような産物を大都市への輸送の一翼を担うために敷かれたので貨物輸送が主流だった。ところが高度成長期となって自動車に取って代わられると近江鉄道は旅客輸送に目を向けざるを得なくなったがもとより人口の密集のない郡部ではあまり期待できなかった。
そこで私が妄想するのはこの鉄道を作ったのが阪急電鉄の創始者小林一三だったならどうしたかということだ。農地の合間を縫いイノシシやタヌキの出るような北摂の山裾に行き着く箕面有馬電気軌道の沿線を開発して住宅地とし何もない寒村宝塚に少女歌劇を作って大阪などからの観光客を電車で運んで呼び込んだ。そんな彼なら東近江の地にも沿線に人を住まわせ町を作りさらに観光地を整備して人を呼び込もうとしただろう。国鉄の通らない水口、日野、五箇荘などの土地を買い入れて住宅地にして沿線住民を増やし通勤通学路線として運行する。多賀大社、太郎坊宮参詣のために大都市へ広告を出す。さらにできれば大凧で知られる八日市あたりに遊園地などテーマパークを作る。彦根や近江八幡の駅に隣接して百貨店を建てて繁華街を作る。そのぐらいのことを考えたと思うのである。もしそんなことが実現していたなら滋賀県の地勢は現状とは全く異なっていたのではないか?


