湖北のDC列車①

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江若鉄道の後を継いだ湖西線のひところである。複線電化の湖西線の開通によって琵琶湖西部の輸送力は大幅にアップし京阪地区との結びつきも強くなった。以後沿線の宅地化は進み近江今津あたりからの通勤も可能になった。しかし問題があった。電化の交直接続である。湖西線の大半である永原までは直流電化にされたが一つ先の北陸線との接続駅である近江塩津は交流になる。そこで永原~近江塩津の一駅間は交直両用車か気動車でないと通過できない。京都方面からきた直流専用車は永原で引き返さざるを得ず、その一駅が輸送のネックになった。開通時から1991年頃までこの区間を走る普通列車はDCが使われていた。全線架線の下を走る気動車列車というのは間合い運用などでは良くあるが、このような事情の例もある。やはり江若鉄道の末裔だけに気動車との縁は断ちがたいものがあるのかもしれない。もっとも江若鉄道の走っていた大津~近江今津間には走らないが。湖西線初めのころから敦賀区のDCが受け持っていて往時はキハ55や58も使われていたようだ。私が乗りに行った1991年の時点ではキハ48の2連が使われていた。いずれにせよちょっと旅行気分に浸れるが湖北の冬季気候には開放型デッキの車両は適さないようだ。しかし夏場は非冷房で暑かった。撮影した年の10月には471や419などの交直用電車に取り替えられた。
近江今津発車を待つ敦賀行き。この駅の構造上京都からきた電車から乗り換えるのに地下通路を通って反対側ホームへ移らねばならずお年よりには不便だった。
同列車車体中央に掲げられた行先表。今の電車には見られない。
1991.8.26撮