同じく敦賀1区のキハ48である。湖西口だけでなく米原口にも顔を出していた。こちらにも当時米原~田村間に交直デッドセクションがあるため長い間普通列車に電車が使われなかった。国鉄時代北陸線の普通といえば長距離は赤い電機の引く客車列車で短距離は2連の気動車列車だった。全てはこの区間のせいとは言いすぎだろうか。
米原~長浜が直流化される直前の話である。前掲の近江今津発敦賀行きを近江塩津で降りて米原方面に乗り換えた。程なく来たのは419系長浜止まりだった。長浜でおりて米原行きが来るのを待った。それがまた小浜色キハ48の2連「木ノ本発米原行き」だった。ここの48はどれも1番台と1000番台のペアのようであった。夏だが冷房はついてない。乗客が窓から顔を出している。
乗り心地は先に乗った湖西線のものと同じ。一つ目の駅は田村。以前はここで機関車の付け替えをしていた。北からEF70に引かれてきた列車はここで解放され米原までワンポイントリリーフのDE10につなぎかえられた。しかし訪れた時にはすでにEF70は全廃されEF81の天下で付け替えの必要はなくなりこの駅もその任を解かれていた。かつて何台ものEF70が止まっていた電留線の線路は外されやたら広い敷地だけが昔を物語っていた。二つ目は坂田。この駅はよく気をつけないと見過ごしてしまう小さな駅だった。ホームの有効長が2両分しかない。だから普通といえども長編成の列車は通過し、乗っているような近距離の気動車列車しか止まらなかった。もちろん無人で駅というよりは停留所だった。しかしこの年の10月には長浜まで直流化されここにも東海道線からの電車列車がやってくる。200mほど北寄りに8両の電車でも止まれる新駅が建設中だった。降りて駅の写真撮りたかったけどその次は3時間ほど来なかったと記憶する。残念ながら素通り。坂田を過ぎるとまもなく新幹線の線路が見えてくる。そして広い米原の構内に滑り込んだ。