2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

タイガーマスク

「草も木もないジャングルに~」梶原一騎原作、辻なおき画の本格プロレス漫画である。先日の日曜ある古本屋で第10巻を手に入れた。中学の頃TVでアニメを放映していたのは覚えているが、原作は読んだことがない。虎の穴を裏切り追われる身となったタイガ…

京阪バスのボンネット車

私は競馬のことはまったく知らないのだけど最近の人気はすごいようだ。先月菊花賞のあった京都競馬場、あのディープインパクト人気で13万以上の人が詰め掛けたというから尋常ではない。甲子園が満員のときで53000人。その客を捌くのに阪神電車は特別…

秋桜

むかし山口百恵ちゃんがさだまさし作詞作曲の「秋桜(こすもす)」という歌を歌っていた。嫁入り前の娘の母への思いを綴ったしみじみした歌で、彼女の歌の中では「いい日旅立ち」とともに20世紀の名曲として数えられるものだろう。私も好きな曲の一つである…

1980/南海汐見橋支線

南海汐見橋支線(汐見橋~岸里)は本来高野線の一部であったものが難波への起点集約によって支線扱いとなった路線である。したがって以前は高野線の車両が使用されていた。今でこそ南海本線も高野線も同じ塗色で見分けがつきにくくなったが、以前は高野線は…

東福寺その後

東福寺へはさる13日に訪れておりその時の写真をこの書庫でお見せしているが、昨日再び訪れてみた。あれから京都は冷え込む日が多くなってきてさすがにどこでも木々が色づいてきた。前回の写真と見比べれば明らか。きのうは一番の見ごろだっただろう。相当…

伊豆箱根鉄道大雄山線の旧型車

小田急を小田原で降りた後大雄山線に乗っている。名前からわかるように天狗のお寺で知られる道了尊最乗寺への参拝の足として出来た路線でつい先日開業80周年を迎えたそうだ。終点にそのような名所こそあるが他には沿線にこれといった観光地はなくむしろ大…

ALWAYS三丁目の夕日を見て

20日の日曜表記の映画を見に行った。ご存知のようにビッグコミックオリジナルに連載中の西岸良平作「三丁目の夕日・夕焼けの詩」を題材として実写映画化したものである。時代設定を昭和33年としているからその頃を知る世代には楽しめよう。実際映画館へ行…

小田急3100系はこね号

首都圏在住の鉄道ファンの方が関西の電車にあこがれを持たれるというのをしばしばお聞きしますが、関西のファンだって首都圏の電車に憧れを持ちます。お互い様です。やはり各私鉄の特急車には一通り乗ってみたいと思うのが人情です。また東京への往復はいつ…

別府鉄道野口線

別府鉄道は旧国鉄高砂線野口からと山陽本線土山からそれぞれ別府港に向かう野口線、土山線からなる兵庫県の小私鉄であった。一般客も乗車できたが別府港にある多木化学の工場への専用線の性格が強かった。だから輸送は当然貨物主体だったのだが国鉄末期の貨…

ポールのコンサート回想

何を隠そう高校生以来のビートルズファンである。しかしファンになったときには彼らはもう解散していた。ジョンやジョージ亡き今四人がこの世で揃うことはもう望むべくもないが、残ったメンバー一人でも生で見てみたいと思っていた。 3年前のきょう11月1…

1984/和歌山紀行番外編

御坊で降りて日の岬灯台までいったが、その近くに小さな動物園があった。その中に一つの檻の中にワラピーと鶏が一緒にいた。珍しい取り合わせだが、なんで一緒なのかわからずシュールな動物園だと思った。ワラっトリます! このシリーズこれで終わりです。ニ…

1984/和歌山紀行その4・南海直通急行用キハ55

かつては小田急、名鉄といった大手電気鉄道が国鉄線に乗り入れるために自前の気動車を所有していた。有田鉄道キハ58の前所有者だった富士急行にしても当時未電化区間の残っていた中央東線に乗り入れるためにわざわざ気動車を作ったのである。そして大手に…

小春日和に

お寺の片隅の墓地で見かけたネコ。墓石を寝床にひなたぼっこ。ニャンまいだ~。

1984/和歌山紀行その3・有田鉄道

紀勢線で藤並まで乗って有田鉄道訪問。ここも3年前の大晦日をもって廃線となったが末期は気息奄奄でほとんどが代行バスになり鉄道運行は一日2往復だけ、それも日祝日は運休と見るも哀れな状態だった。訪れたときはまだそんなことはなく一日十数往復毎日走…

1984/和歌山紀行その2・紀州鉄道続編

西御坊から乗車。西御坊という駅名だが、御坊市の西側という意味ではなく、西本願寺日高別院の最寄という意味である。そもそも御坊という地名がこのお寺に由来した名前であり御坊市全体がひとつの門前町なのである。2駅目の紀伊御坊で下車。同線の中心的存在…

秋の色

京都の紅葉、今年は例年より遅いと言われていましたがここ東福寺はここまで色づきました。有名な通天橋を西側から見たところです。もう少しです。来週には見ごろでしょう。ただしご忠告しておきますがこの東山一帯へお車でおいでになるのは控えたほうがよい…

1984/和歌山紀行その2・紀州鉄道日高川駅

その日のうちに海南から御坊まで行き、日の岬など見て回って投宿。翌日宿の最寄り駅市役所前から紀州鉄道日高川行きに乗る。たったの2駅あっという間に着いた。かつて当鉄道は御坊臨港鉄道という名称で、川を船で下ってきた農産物や木材あるいは織物などを…

1984/和歌山紀行その1・野上電鉄

① ② 以前アップした記事で1984年8月廃止直前の急行「紀ノ川」に乗ったことを記したが、その後南へ足を伸ばして和歌山県下の小私鉄を探訪している。その時の写真をご覧に入れる。まずは海南まで行き野上電鉄に乗りに行った。国鉄海南駅を出て和歌山方向…

少年ジャンプ1990年第45号

私にとってはそんなに古い本でもないし、これが出たときには少年どころかもうおじさんと呼ばれてもおかしくない歳にはなっていたので内容について強い興味があるわけでもない。ある一点を除けば普通の少年雑誌である。当時働いていた職場で閲覧用に毎号購買…

近鉄東信貴鋼索線

近鉄 現在近鉄で信貴山へ行こうとすれば河内山本-(信貴線)→信貴山口-(西信貴鋼索線)→高安山-(バス)→山門前というルートだけだがかつてはもうひとつ生駒線の信貴山下から東信貴鋼索線で上がるルートもあった。大阪方面からだと回り道で敬遠され昭和58…

青磁鳳凰耳瓶ではないか!?

きのう行ったお寺の庭の一角に祠があって、ふと目をやると宋の竜泉窯のものと思えるような青磁の瓶が何気においてあるではないか。が、色合いがきれい過ぎるか。この手のものは複製品が数多く作られているしまあ本物ではあるまいな。たとえ複製でもよく出来…

30年前の写真その5・近鉄南大阪線

河内長野からは近鉄に乗った。南海の駅に比べると近鉄の駅はこじんまりしている。そこから阿部野橋行き準急に乗る。準急といっても藤井寺までは各駅停車。道明寺で降りる。もうこのころには南大阪線の急行以下の旅客運転は6000系などの4扉新性能車に揃…

30年前の写真その4・南海河内長野

前回の阪堺線を見た後高野線で河内長野まで乗っている。河内長野で電車を降りた瞬間ひやっと感じたのを覚えている。同じ大阪府でも大阪市よりは気温が低い。名前のごとく河内でありながら長野県のような涼しさ。しばらくホームに立っていて程なく向こうから…

30年前の写真その3・南海大阪軌道線

この路面電車、現在は阪堺電軌という独立した社名を名乗っているが当時は南海電鉄の一路線で上記のような名称だった。とはいっても最初から他線とは軌間も車輌規格も違って独立した路線だった。以前ここで平野線の記事を載せているが今回は阪堺線・上町線の…

30年前の写真その2・阪和線

30年前阪和線に天王寺~和歌山間鳳のみ停車の新快速が走っていてそれは113系が使われていたが、それ以外のほとんどの電車はまだ旧型国電だった。新快速の一つ格下の快速はスカ色70系、そのまた下はオレンジ色の60系73系といったいわゆるゲタ電だ…

30年前の写真・その1

30年前の1975年10月から11月にかけて撮った写真をいくつか出させていただきます。ただし画像をデジタル化できずスキャンしたもので不鮮明であり、写真そのものの腕も未熟なため見苦しい点もありますがご寛容ください。まず最初は国鉄時代の信楽線信楽駅に停…