1984/和歌山紀行その3・有田鉄道

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紀勢線で藤並まで乗って有田鉄道訪問。ここも3年前の大晦日をもって廃線となったが末期は気息奄奄でほとんどが代行バスになり鉄道運行は一日2往復だけ、それも日祝日は運休と見るも哀れな状態だった。訪れたときはまだそんなことはなく一日十数往復毎日走っていたしそのうちのいくつかは国鉄湯浅まで乗り入れていた。車両は富士急行からきたキハ58003が主に使われていた。この小さな路線には少し大きすぎだったがそれでも両運であることで重宝されていた。金屋口の車庫にはほかに片運2連のキハ58001+58002も置いてあったが朝の通勤時以外は使われていないようだった。それからDL、DD353というと凸形ロコもあった。しかしこのときすでに貨物輸送はなかった。いずれも廃線を待たずいつとはなく消えてしまったようだ。どの車両も汚れが目立ち痛々しかった。結局この鉄道をたずねたのはこれが最初で最後となった。なお有田鉄道の社名はそのまま現在も残りバスやタクシー事業を行っている。

ゞ皺宛?琶造屮ハ58001と58003
金屋口に保管中のDD353
車窓から見えたおむすびみたいな山