1984/和歌山紀行その4・南海直通急行用キハ55

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かつては小田急名鉄といった大手電気鉄道が国鉄線に乗り入れるために自前の気動車を所有していた。有田鉄道キハ58の前所有者だった富士急行にしても当時未電化区間の残っていた中央東線に乗り入れるためにわざわざ気動車を作ったのである。そして大手にもう一つ南海にも気動車があった。国鉄のキハ55とほとんど同型のキハ55を用意して難波発紀勢線乗り入れ白浜・新宮行き直通急行(線内は特急扱い)を走らせていた。通常2連で運行され和歌山で天王寺からきた国鉄急行「きのくに」と併結された。

有田鉄道を乗り終えて帰路についたが、このとき南海直通急行に乗ることにした。藤並で切符購入。乗車券は南海連絡用の硬券急行券は手書きだったと思う。ただし藤並には停車しないので箕島まで普通に乗りそこからの料金であった。やはり国鉄「きのくに」との併結で後ろ2両が南海の車両だった。国鉄のは58系で揃えられているのに南海の55はいささか時代を感じさせた。もはや急行といえども冷房付が当たり前の時代で国鉄車両は冷房付だったのに南海のは非冷房(8月のことである!)。

和歌山まで一緒に走ってきた列車はここで南海車を切り離し、国鉄車が先に発車していった。10分近く停まっていた南海車はしずしずと和歌山市へ向かう。和歌山市で7100系の難波行き急行と並ぶ。こちらのほうが先発なのだが、乗ってきた2人連れのおばさんいわく「いや、この電車冷房してへんわ!」「ほんまや、あっち乗ろ」といって急行に移っていった。そのせいかまったくこちらの車内は閑散。物好きだけの乗る列車。でも南海線に入り紀ノ川を渡ると結構スピードを出す。県境付近の山間で窓を開けていると風が涼しくて気持ちよかった。18時を過ぎていただろうか。定時に難波に到着した。モダンな駅にややミスマッチな感じがした。

紀勢線はすでに新宮まで電化されており主役は381系電車の「くろしお」だった。それまでのDC急行は退潮甚だしく補完的役割に甘んじていた。それすらもこの年の10月のダイヤ改正では全廃が予定されており南海のDCも運命をともにすることになっていた。そして戦前からの伝統であったという南海の紀勢線乗り入れは幕を閉じることになったのである。

このころにはヘッドマークもついてなくて特徴付けた写真は撮れなかった。
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南海車の入り口付近
車体中央の行き先表と形式番号。南海車の特徴、窓に保護棒がついていたことがわかる。