30年前の写真2006・その9クヤ153

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1960年代に登場した153系電車は東京~大阪間を結ぶ急行列車用として東海道を往復していた。その編成たるや一等車やビュフェを2両ずつ組み込んだ12両編成だった。東海道新幹線ができて大半は役目を譲ったがそれでも「なにわ」「東海」「比叡」といった列車で東海道を走る日は続いた。中でも「比叡」は名古屋~大阪間だけのローカル急行だったが、「なにわ」亡き後も数年間ビュフェを連結していた(さすがに編成中1両だけにはなっていたが)。1972年に急行「きたぐに」の食堂車火災事故があってから全国的に食堂車が外される事態が続き「比叡」も例外とはなりえず73年頃に連結をしなくなったと記憶する。余剰となったビュフェ車サハシ153はしばらく留置されていたが、職用車に改造されるものが出てきた。クヤ153は1975年にサハシ153-11を国鉄吹田工場で改造して教習車としたもので1形式1両である。運転シミュレーションを実習するために使われた。改造によって両端は103系のような運転室窓がつき青色に塗られパンタが付けられたが、窓配置や屋根上機器などはタネ車の面影をよく残している。普段は向日町運転所の奥まった片隅に留められていた。1986年JR化を待たずひっそりと廃車になった。1976年7月撮影。

30年前シリーズはこれにて終わりとさせていただきます。ご高覧ありがとうございました。