珍豪ムチャ兵衛

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森田拳次というと筆頭に上げられるのは少年マガジンに連載された「丸出だめ夫」だがその後継作品として発表されたのがこれである。関が原の戦いが終わり徳川の世になったが、江戸の下町に傘はりの内職で生計を立てているムチャ兵衛という浪人がいた。そして彼はボケ丸という一人の男児を育てていた。この子供こそが実は豊臣秀頼の子供で浪人は豊臣の家臣だった。ムチャ兵衛は貧しい生活を送っているが剣豪でいつの日かボケ丸を主君に立てて豊臣家再興を夢見ている。そのために江戸城の近くに住んで徳川を倒す機を窺っている。徳川はボケ丸の命を狙い忍者を送り込む。そのような事情もわからないボケ丸は凡庸な日々を送っている。果たしてムチャ兵衛の夢が叶うときは来るのであろうか。

この漫画が作られたのは1967年前後だったが、その頃はまだ子供たちの間に時代漫画を受け入れる余地があった。そして1965年にNHKのTV大河ドラマ太閤記が放映された余韻の中、日本人の頭に秀吉=英雄、家康=狸オヤジという図式が明確にパターン化しており2代で絶えた豊臣家への憐憫の情というものが少なからずあった。そもそも子供向け漫画とは善悪のはっきりした勧善懲悪仕立てであるからそこに豊臣方をヒーロー視し徳川を敵方とするのは分かりやすかったのであろう。そういえば当時駄菓子屋で売っていた凧やメンコに「太閤さん」の絵があったように記憶する。このような漫画が書かれたのもそういう時代の発想の所産だったのだろう。
またこの漫画で敵方の忍者カブレというキャラがいるがこれが時代の流行にすぐにかぶれる性癖がある。それをあたかも軽薄な行為のようにムチャ兵衛が戒める。その頃子供がTVなどで覚えた流行語などを口にすれば大人たちにたしなめられた記憶を髣髴とさせる。次々と移り変わっていく社会の世相を徳川の治世に投影させて安易な流行への懐疑を呈しているのか。ともあれそのようなことを抜きにして今カブレの言動を読むと当時の流行が垣間見れて面白い。

珍豪ムチャ兵衛は1971年初頭のごく短期間TVアニメ化されたというが筆者はみた記憶がない。少年マガジンで読んだだけである。今手元にあるのは汐文社版の単行本第1巻である。蛇足だが作者名は「森田拳治」なのに拳の字が「挙」になっている。