国鉄尼崎港支線

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昨年4月25日の脱線事故の現場となった電車の突っ込んだマンションのところは元々線路があった。脱線した電車は手前から始まる曲線で曲がりきれず横転したのだが、あの部分が実は分岐部でそのまま直行する線路がかつて存在したのだ。否、福知山線東海道線とつながってからは支線になったが出来た当初はこちらが本線だったのだ。尼崎~尼崎港約5kmの通称尼崎港支線。思えば1976年は結構あちこち見に行っている。ここには学校が夏休みに入って間もない7月下旬に一人で訪れている。

 

貨物が主の路線で旅客列車は一日に2本しか走らない。朝と夕方どちらかである。朝7時代ではちょっと行きにくい。今でも時刻を覚えているのだが尼崎発16時42分に乗ることにした。尼崎駅といっても東海道線の駅とは別で一旦改札を出て200mほど歩いて東海道線をオーバークロスする築堤の上にある。バス停のような表示がありその先の階段を昇るとホームに出る。何か高速バスのバスストップのようだ。誰もいない。やがて北から川西池田発の列車がやってきた。DD13を先頭に無蓋車+オハ35+スハフ42という編成、なんと混合列車である。機関車がDD13では冷房は無論冬に暖房もしないのだろう、寒そう。

 

旧型客車というのは乗っただけで旅行気分が味わえた。車端の壁に国鉄全路線の入った日本地図が掲げてあり、それがいいのだ。この支線も書いてある。しかし旅行気分とは裏腹に築堤を降りると生活の匂いが漂ってくる。暫くして中間駅金楽寺着。乗り降り0、すぐ発車。車内から駅を撮る、ちょっと駅とは思えない(①)。その先は工場地帯の片隅を縫うように走り国道2号線、阪神電車をアンダークロス。当時まだ建設中だった阪神高速3号神戸線の造成中の高架下をくぐり(②)、右にカーブするとすぐ終点尼崎港着。機関車は無蓋車を従え客車を解放して離れていった。降りたのは私だけだった(③)。

 

この駅も工事中の高速道路の橋桁に挟まるように建っていた。本来貨物駅なので敷地は貨物ヤードが広がっていて客車用ホームは申し訳程度のものだった。それでも旅客はいるのだろう。駅員配置駅である(④)。出札口には「国鉄全線の特急券・指定券は是非当駅へ」と書いてあった。もっとも券売機もみどりの窓口もありはしない。切符を買う人はまれと見え、手書きの乗車券を発行していた。帰りもこれに乗ろうとも思ったがまだ出発まで1時間半ほどもある。心を残しつつ近傍の阪神尼崎まで歩き阪神で帰った。頻発する電車、ああやっぱりここ都会だったんだ!

 

その後この線の列車は塚口発着に変更になり晩年は客車1両だけだったという。さらに1981年4月1日旅客営業廃止、1984年2月1日完全廃止となる。