61歳

当方本日また一つ齢を重ね満61歳となった。去年は還暦で回りも気を使ってくれたが今年は特に区切りでもなく特別の感慨はない。豊臣秀吉の享年は61歳だったそうだがこちらはまだそれほど老け込んでもいないし特に体調面も問題ない。天下人でもなければ憂うこともなく気楽にこの先も生きていけることだろう。

 

というわけで今年も恒例の旧国鉄で形式に61のつく車両を挙げてこの1年の序としたい。


【SL】
C61 第二次大戦後旅客輸送需要の増大で誕生した形式。貨物用だったD51のボイラーにC57の足回りをつけて旅客用とした。九州や東北で活躍し特急列車をけん引したこともあった。現在京都鉄道博物館に2号機が保存されている。
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D61 国鉄蒸気機関車で最後に生まれた形式。D51を北海道の亜幹線へ入線させるにあたって軸重軽減のため従台車を2軸化改造したもの。6両が作られ留萌本線、羽幌線などで貨車を牽いた。


【EL】
ED61 小型新性能電機としてED60に次いで登場した。勾配用として回生制動を備え中央東線で使用された。後年同線に大型機が入線できるようになって飯田線など支線に転用されることとなり中間従台車をつけてED62に改造された。

 

EF61 大型新性能電機の草分けEF60の歯車比を変えSGなども装着して旅客用となった。東海道・山陽方面で活躍したが新幹線開通以降両線から旅客列車が激減しJR化前に引退。
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なお後年改造により同形式200番台を名乗るグループが現れたがもっぱら瀬野八本松補機専用に使われ本来のものとは全くの別物だった。


【EC】
クモハ61 モハ40のうち5両が出力増強によって形式変更されモハ61となりさらに称号改正によりクモハ61となったものである。少数ながら両運転台のため重宝され阪和線飯田線で活躍した。


【PC】
61系客車 終戦後残っていた17m級木造客車の下回りや内装品を利用して各地の工場で鋼体化改造して大量に作られた客車の一群。オハ61、オハフ61を筆頭にオハユ61、オハニ61、オハユニ61などが作られさらに後年2次改造によりオロ61、スユニ61、オユ61、マニ61、オエ61なども生まれ総勢2000両以上に及び全国各地で見られた。戦後の一時期大量輸送に貢献したが他形式に比べ室内設備が見劣りして早々淘汰の対象になった。

 

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以前投稿した八代で見たオハユニ61の写真を再掲。

DLやDCには該当形式がなし。
見てみるとスター的な華やかな形式は見当たらないが使い勝手が良くて地道に働いた車輛が多い。今年一年やはり地道に働くことが大切なのだろうと肝に銘じておく。
2017.9.29 慌てん坊将軍