1977/東横線桜木町

みなとみらいはおろかまだ横浜スタジアムも出来ていなかった頃の話(大洋ホエールズの本拠地は川崎球場だった)、地下鉄で関内まで行き界隈をぶらついた後桜木町まで歩いた。あまり人ごみというものを感じなかった。桜木町もこじんまりした駅だと思った。1872年に日本最初の鉄道が新橋~横浜に開通したとき当時の横浜駅こそがこの桜木町の場所だったのだがそんなことを思い起こすほどの賑わいは見られなかった。国鉄根岸線ホームに上がると隣に東急東横線桜木町駅が見え電車が止まっていた。関西の人間には国鉄三ノ宮から見える阪急神戸線を思い起こさせた。震災前の阪急三宮は少しでも国鉄の客を奪おうと立派な駅ビルを建て小さいながらも百貨店を入れていた。この東横線桜木町には隣の国鉄線を意識したようなつくりには見えなかった。車両はまだ8000や9000などの大型4扉車はわずかしか入っておらず中型3扉車ばかりだった。

 

青ガエル5000系
イメージ 1

 

白銀バット7000系
イメージ 2

 

そのころ東急は大手私鉄で唯一特急のなかった鉄道だった。東横線は運賃が安くて渋谷あるいは新宿方面への近道ということでけっこう乗客はあっただろうにどこかおっとりした会社だなと感じた。もっとも数年後には大型車ばかりになったが。

 

ここから根岸線横浜線を乗り継いで新横浜から新幹線で帰った。その後東急桜木町へ行く機会はついになかった。なくなってもう2年が過ぎたのか。常に変貌する街横浜の一端を垣間見た。

 

1977.1.30撮