昭和38年 大網駅写真のなぞ

我が家に残る古い写真にこのようなものがある。家族が撮ったものらしい。
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写真には 昭和38年10月21日 大網駅 と記録されている。
大網といえばJR外房線にある東金線との分岐駅である。列車の横に乗り換え案内の看板が立っている。目を凝らしてみると縦書きで 東金 成東 銚子 方面 のりかえ と読めるので大網駅で間違いなかろう。この当時は国鉄房総東線と呼び単線未電化の路線だったこともわかっている。
さてここで不思議に思うのは画面下方に写っている国鉄職員らしき人物である。一見心霊写真みたいに見えたり、あるいは村上春樹氏の近作騎士団長殺しの話を想起させるような絵柄である。どうしてこのようなものが写っているのか?

まず大網駅について当時の歴史背景を考えてみよう。現存する大網駅は高架ホームで外房線東金線ホームが離れて作られているが当時の駅はこれではなく別のところにあった。ここで貴重な文献が見つかった。
→  http://tsunechan.web.fc2.com/ooami.html
大網駅から東金線に乗って少し行ったところに旧大網駅があった。旧駅は千葉方面から安房鴨川方面(その逆も)へ行くのにスイッチバックする必要があった。したがってこの駅では全列車が停車し上下列車の交換もよく行われたものらしい。上記サイト内にその旧駅の構内配線図も揚げられているので同図をご覧の上頭に入れておいていただきたい。

再び写真を見てみよう。写っている気動車列車は準急くろしおとなっている。入線しているのは房総東線下りホームの2番線であることがわかる。そしてその手前は貨物列車用の通過線になる。その路面に人物が立っているのだ。さらにその手前にも線路がありそれは同線上りホームの1番線であることが自明である。そこに列車が入線していることが影でわかる。撮影者はその列車の車窓からこの写真を撮っていたと見られる。どうやらここで上下列車が交換しているらしい。

折りよく交通公社の時刻表1963年10月号を手にすることができた。
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それによると両国発安房鴨川行き下り準急くろしおは大網9時38分到着9時41分発車である。それと交換する上り列車は安房鴨川発千葉行き普通240D列車で大網9時40分着9時50分発である。わずか1分の交換である。このころは手動通票閉塞方式で交換駅ごとにタブレットの交換が行われたことだろう。

このようにしてわかってきたのは、写っている職員は間の線路に立って少ない停車時間のうちに手早く両列車から(まず下り、ついで上りだっただろう)タブレットを受け渡して、くろしお発車の段になってそれを見送っているという状況ではないだろうか。

大網駅は昭和47年電化に伴って現在の場所に移動しスイッチバックは解消された。別情報によると現在も旧駅の痕跡は少し残っているらしい。また現在紀勢本線の特急に冠されている「くろしお」という愛称がこのころ当地の準急に使われていたというのも面白い発見である。いずれにせよ時代を感じさせる一こまである。