叡電のポール電車

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京都にはポール集電の電車がかなり長く残っていた。京阪京津線京福電鉄嵐山線、そしてそのころ京福電鉄叡山線と呼ばれていた今の叡山電鉄。特に叡山線(京都人は叡電と呼ぶ)は日本の営業鉄道路線としては最後まで残ったところである。中小私鉄としては割と洗練されたスタイルの車体が多かったが、それがポールをあげていたのはややミスマッチながらユーモラスだった。ポオ~という特異な音の警笛、白熱灯照明などがのどかさを増していた。カーキ色とモスグリーンのツートンも落ち着く。

写真は―伉柳に到着し入線しようとした電車ですが、行先はもうすでに岩倉にされています。今は岩倉止まりはなく二軒茶屋まで行きます。この写真を撮った2年後にパンタ化されました。ましてや京阪と出町柳で接続するなんてまだまだ先の話。1976.4.29撮
元田中付近を走るデオ300形出町柳行き。主に鞍馬行きに使われてました。ポール終電ながら空気バネ台車、カルダン駆動というピカイチ車。車体もよくまとまったデザインで私好みの車両でした。
C禹撹婉瓩鯀?圓靴討い織妊複毅娃扱曾伉柳行き。主に八瀬遊園行きに使われてました。元阪神831形で叡電の車両はどれも細面ですがこのデナ500はそれよりまだ細くて扉には大きなステップが取り付けられていました。阪神の旧型車は他にも野上や高松琴平などにも行きましたがこの叡電のが一番手入れがよかったと思います。↓1975.8.9撮

ふと気がついたが、デオ300では運転手は座っているが、デオ200、デナ500では立っている。