あれからはや31年

1978年9月30日、京都市電で最後に残っていた外周線と七条線東部が廃止され京都の町から市電は完全に消えた。それまでもいくつかの路線が廃止になっていったが最後の部分は恒久的に残るとも言われていただけに多くの市民が別れを惜しんだ。
31年も経てば市電を知る人も年々少なくなっていく。その痕跡も人知れず何時の間にか消えていてかつての姿をイメージしにくくなっている。広島に行った1900形、松山に行った2000形はそれぞれ今やかの地で働いた期間のほうが長くなっていて広島の電車、松山の電車として定着している。もはや年寄りの郷愁の中だけの産物となってしまったか…

 

この日は京都市電を偲ぶ日。家にあったありし日の姿を写した写真ご覧ください。

 

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博物館三十三間堂前 800形の8系統が停車中。七条通をずっと真直ぐ西へ向かう系統。運行コースは現在市バス208系統に引き継がれている。

 

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西大路七条。現在の三菱東京UFJ銀行の1源流である旧東海銀行西七条支店が見える。京都市電随一の大型車1000形である。大型が災いしてかワンマン化の対象とならず早いうちに消えていった。おそらく錦林車庫持ちの2系統運行であろう。

 

市電といえばトロリーバスもその仲間だった。他の市電路線に先んじること9年、1969年のやはり9月30日をもって廃止された。
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四条通のどこか不明。横を走る帝産バスの車両も時代を感じさせる。

 

いずれも1967年当時のもの。