子供の成長とは

中1の娘には友達が何人も居て何人かは父親の私も知っている。A子ちゃんは小学校の頃からの友達で我が家にも何べんも来たことがあるので私もよく知っている。来たときは私にも「こんにちは、お邪魔してます」などとしっかり挨拶してくれるのでしつけのいい子だなと感心したものだ。成績もいい子らしい。
最近しばらく見てなかったが、今朝通勤時駅で友達といるのを見かけた。多分彼女も私に気づいていたと思う。今までなら向こうから挨拶してくれたのできょうもしてくれるカナと思って近づいた。が、私とは目を合わせぬようにしてこちらに背を向けて友達と話し続けていた。私はその前を静かに通り過ぎた。

小学生のとき知人なら誰にでも声をかけるような子でも、中学生になると人見知りが始まる。自我の目覚めとともに周囲の人間に一定の距離を置くようになる。それまで面識のある人間でもどのような人間像かを認識できるようになると心底から心を開けることのできる相手でなければバリアーを張るようになる。どこかよそよそしくなる。そうならなければ羊の皮を被った狼を見抜くことができない。そこから大人の人間関係が見えてくる。

見知らぬ人間に近寄ることの恐ろしさ。昨今未成年への虐待、誘拐、殺人、暴行など多いだけに警戒を強めざるを得ない。少し知っている人間でも一応用心を解かずにおくに越したことはない。アイデンティティーの確立と他人との距離の策定は表裏をなしている。だから今日のようなことがあったのは多分彼女の成長と呼ぶのべきものなのであろう。悲しむことではない。

と、理性では受け止めることができるのだが、以前を知っているおじさんにとってはどこか寂しいものがあることも隠すことができない。人の子のことながら複雑な心境になった今朝の出来事だった。