1968年5月21日 国鉄気動車特急はつかり 仙台駅での写真

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日本の気動車特急の嚆矢となったのは1960年それまでの客車列車を置き換えて上野~青森間に登場したはつかりだった。このために作られた80系気動車10両編成だったが初期故障に悩まされ1年間くらいは遅延が続いた。客車列車の時代から上野~仙台間は距離は長いが勾配の緩い常磐線経由だった。のちに生まれたひばり、やまびこなどの電車特急は東北本線を難なく通過することができてスピードアップした(常磐線原ノ町以北が未電化だったという事情もあったが)が当時の気動車列車には難問だった。やがて1968年10月に東北本線全線電化が果たされていわゆるヨンサントオダイヤ改正はつかりも電車化されることになりそれを機に他の電車特急同様東北本線経由にそろえられた。この写真はその5か月前気動車時代末期のものである。

電車化にあたっては新製で座席寝台両用の583系電車となった。夜行のはくつると共通運用となり運用効率を高めた。余剰となった気動車編成は奥羽本線経由の秋田行きつばさに転用された。

東証2599 ジャパンフーズ株式会社 株主優待品

昨日同社の優待品が届いた。

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千葉のおいしいお茶500ml 24本

毎年3月31日時点で100株以上保有の株主に対して優待品が8月中に送られる。優待品は①千葉のおいしいお茶 のほか

②房総のおいしい水 500ml×24

③サイダー びわ・梨風味セット 190ml×30

④愛犬のためのプレミアムミルク10箱

の中から選べるようになっている。昨年サイダーセットをいただいたので本年はお茶にした。この暑い気候の中ありがたい贈り物である。

 

京急 金沢文庫駅の古い写真

我が家に残っている古い写真から今回は京浜急行のものをご紹介しよう

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1962年10月29日撮影 旧塗装の230型

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1968年8月11日撮影 車体改造前の500型

 

JR 高崎~茅ヶ崎 ショートカット路線乗車

首都圏のJRネットワークは便利になったもので上野東京ラインに乗れば高崎から茅ヶ崎まで乗り換えなしでいけるようになった。その運賃は2590円である。しかし上野東京経由の同区間営業キロは163.6kmとなり本来3020円必要なはずである。それが上記運賃でいけるのは両駅間が東京近郊区間内にあるので同日内なら乗車経路にかかわらず最短距離の運賃が適用されるからである。この区間の最短距離とはどんな経路かといえば

高崎→(八高線)→八王子→(横浜線)→橋本→(相模線)→茅ヶ崎

というルートで営業距離は一部換算キロが入るが147.7kmになりこの運賃が適用になるのである。実際このルートを乗車してみた。

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高崎11時56分発 八高線 高麗川行き キハ112

高麗川13時25分着

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高麗川13時30分発 八高線 八王子行き

八王子14時12分着 ここで少し休憩(ティーブレイク)

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八王子15時00分発 横浜線東神奈川行き E233系電車

橋本15時13分着

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橋本15時19分発 相模線 茅ヶ崎行き

茅ヶ崎16時16分 無事到着f:id:awatembow:20190805144813j:plain

所要時間4時間20分。八王子で道草しなければ8分の接続で横浜線に乗り橋本乗換えで茅ヶ崎に15時35分に着け所要3時間39分となる。それでも

4分早く高崎を出る上野東京ライン経由熱海行きに乗れば茅ヶ崎14時41分着で所要2時間49分。やはり乗り換えなしでいける高崎12時14分発湘南新宿ライン小田原行きだと茅ヶ崎14時55分着で所要2時間41分と1時間近く速い。急がば回れである。しかし東京周りの車内はゆったりしているとはいえない。私は八高線高麗川行きの車内で車窓を眺めながらゆっくりと高崎駅弁「だるま弁当」をあけて食べ旅の味を満喫した。

碓氷峠鉄道文化むら

軽井沢から横川行きのバスに乗り鉄道文化むらを見に行った。

 

信越線横軽区間廃止後、横川にあった機関区の広大な跡地を利用してこの峠越えに関連した鉄道施設を中心にした展示館として開園した。
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検車庫だった建物からEF63が顔をのぞかせ歓迎してくれる。

 

中に入ると
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機械のにおい漂う中にさらにいくつかの車両が保存されている。EF63の前任だったED42もある。アプト式路線だったころの主務機である。ロッドのある動輪やアプト区間で用いる第3軌条の集電子などの特徴に注目する。

 

建物を出て野外展示スペースへ
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山を背にして茶色塗装を並べると渋い雰囲気だ。
いくつもの懐かしい機関車が並んであるがやはりEF62、63の展示が多い。その中でそれぞれのトップナンバーが旧塗装に戻されている。

 

昭和40年代の主力車両
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機関車の色も青系統に変わり近代化が進んだ。未電化区間気動車が投入され無煙化が進んだ。
ちょっと車体の傷みが気になったが。

 

旧型客車
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これは珍しいオハユニ61.実物を見たときのことを思い出した。
→ https://blogs.yahoo.co.jp/d19756236/53000798.html
展示車両群の中ではこの車両の保存状態が良好に思った。
さてひとまず入り口のほうへ戻ろう。

 

ロッコ
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横軽間の旧線路敷の一部を利用してトロッコが運行されている。かつての急勾配のイメージを堪能できる。また園内にはこれとは別に園内一周するミニ鉄道も運行されている。

 

丸山変電所跡
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かつて勾配区間の運行に求められる多大な電力を供給していた変電所。ここにトロッコの中間駅「まるやま」があるが、さらにその先文化むら開設後新たに作られた休憩所「峠の湯」まで乗った。
もちろん復路もトロッコ利用はできるが、帰りはやはり旧線路敷を利用して作られた散策路「アプトの道」を歩いて戻ってきた。夏の暑さを感じさせない心地よいウォーキングだった。

 

2019.7.27訪問

7.27 しなの鉄道115系撮影会

7月27日 しなの鉄道軽井沢駅構内で横須賀線色をまとった115系2編成(S16とS26編成)を並べて撮影会が行われた。撮影時間中列車種別幕の幕回しが行われ懐かしい行き先や種別が出てきて集まったファンたちは回されるたび熱心に撮影していた。

 

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スカ色115系といえば中央東線のイメージ。同線のさまざまな駅名が出た。

 

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ひときわ声が上ったのは急行表示でかいじのHMをつけたときだった。こんな急行もあったなあ。遜色急行などと呼ばれたがそんな存在自体今では体験できない。

 

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長距離普通も新宿行きだった。

 

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参加者には昼食としておぎのやの峠の釜めしが配られた。中身はもちろん普通のものだが特製オリジナルラベルが付けられていた。

 

撮影会終了後2編成をつないで5連にして戸倉行き臨時快速列車として運転された。私は別の方面へ向かったので乗らなかったが参加者にはその列車の乗車券も付けられていた。

 

今のしなの鉄道には115系しかないので変化が少ないと思われる向きもあろうが、塗色に関しては湘南色、台湾鉄路局色、コカコーラ色、JR長野色などの編成もあって撮り鉄的には結構楽しめる。