古い新聞広告

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今から50年前、昭和45年8月1日付京都新聞に掲載された不動産会社の広告である。その年大阪で万国博が開かれており会場へのアクセス路線として阪急京都線沿線は開発が進められていた。昭和40年代になって同線や国鉄東海道線が走る京都府西南部は大阪のベッドタウンとして宅地化が進んだ。そんな時期の不動産広告である。さて、鉄道ファン的に目が行くのは写真に写っている電車である。どう見ても阪急3300系なのだがなぜか車両番号が1005となっている??。一体なぜそのような書き換えをわざわざしたのか全く不明。こんな小細工をする不動産会社に信用が置けるのだろうかとすら思えてしまう。不思議な広告物件として長く保存しておいた。なお、当時この物件のあった場所はまだ向日市ではなく乙訓郡向日町だったので阪急の駅名も東向日町となっている。現東向日駅のことである。

 

似ている

2つの顔が何となく似ているように思う。

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江ノ電旧500型 551号車

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スイス国鉄TEE ゴッタルド

どちらの写真もWIKIPEDIA より

ヘッドライトの位置、正面窓曲面ガラスの使い方など。当時の最先端だったヨーロッパの鉄道技術を江ノ電が拝借したのだろう. だが500型はのちにヘッドライトは窓の下に移動し曲面ガラスは平面ガラス2枚に改められ相がだいぶ変わって相似性はなくなったが。

 

 

ある駅で切符を買おうとしたら

某鉄道某駅(有人駅)で券売機で420円区間の切符を買おうとした。財布の中を見ると100円玉4枚、10円玉1枚、5円玉2枚があった。機械で5円玉は使えないので5円玉2枚を10円玉に変えてもらおうとして券売機横の出札窓口の駅員に頼んだ。ところが窓口では両替はしていないので券売機を使ってほしいという。券売機に入れられないから頼んでおるのに何をわからないことを言うのだと言ったら窓口では両替しておりませんの一点張り。仕方がないから高額紙幣で切符を買ったらやたらと小銭が増えてしまった。一体あの駅員は何のためにそこに座っているのだろう、5円玉2つを10円玉に変えることぐらい小学生でもできるだろうにこの男はそれすらできないのか、規則を盾にふんぞり返って何もしない男に給与を出している鉄道会社は大丈夫なのだろうか。あきれ果てて駅を後にした。

東証3396 株式会社フェリシモ 2019年株主優待品

 

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社名変更30周年記念品ということで上のようなものが送られてきた。

真九郎三十重信楽焼小皿2枚

ユーハイムフェリシモ アニバーサリーデアバウムクーヘン2個

アンリシャルパンティエイチジクフィナンシェオリジナルアソート1セット

伊勢電気鉄道廃線跡歩き 続編

5月に伊勢電気鉄道廃線跡を津から雲出川北側まで歩いている。

連休中の鉄分補給 3 - awatembowの日記

今回はその続きとなるが辿り方は前回とは逆に南から北へと歩いた。したがって松阪から雲出川南側へと歩いた。

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坂内川にかかる新松阪大橋付近 このあたりに新松阪駅が作られ松阪市内の中心駅として機能していた。戦争中この路線が一部廃止後も江戸橋からここまでは残存した。

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三渡川北側堤防に残る橋台跡、水路を挟んで2つある。複線用の橋台であることがわかる。この川を渡る前後で路線跡は消失しているがこの橋台があることでその軌跡は推定できる。この北側は市営のポンプ場になっている。

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線路後の道路が途切れ耕作地が広がるが少し先には道路の延長上に細長い雑木林がある。これも線路敷の跡とみられ雲出川堤防へと向かっている。

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雑木林の北側あたりからかつての路線敷はゆるやかな勾配を描いて雲出川を越えていったとみられるがそれを裏付ける遺構が雲出川のたもとに残っている。小さな水路を超えるための橋台跡が農地の中に見つかった。

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番外 遺構ではないがかつての路線跡の道路(近鉄道路と呼ばれる)がJR紀勢線名松線をオーバークロスするこ線橋に「国鉄こ線橋」の名が刻まれている。昭和56年竣工とあるからまだ国鉄が存在していた時のものだ。