新潟交通

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あの田中角栄を輩出した新潟県。彼の政治手法には死後10年以上たった今も様々な評価がなされている。その政治的意義は他の項に譲るとして彼によって新潟の交通網が大きく発展したのは迷うところがない。鉄道においては在来線は日本海側地域のうちではいち早く電化複線化され特急が走った。そして東海道山陽についで上越新幹線が全通した。これにより首都圏との結びつきは周辺県に比べ抜きん出た。道路網も同じ。国道が新潟県に入ると広く真っ直ぐ続いている。県内クルマでどこへ行くのも便利である。ところがその一方でモータリゼーション化が進んだために県内の中小の私鉄は存在意義を失って相次いで廃止になった。新幹線「とき」を走らせたのも角栄なら小さな私鉄電車を消したのも角栄。鉄道ファンとしては喜悲こもごも。

比較的遅くまで残ったが新潟交通もその一つである。燕~県庁前(のちに白山前)間35.8km比較的長い路線で信濃川流域の平野部をいくつかの町村を縫って走っていた。だからそこそこ人口のあるところだった。しかしうねうね走る電車は並行する広く真っ直ぐ伸びる国道8号線の輸送量に太刀打ちできる存在ではなかった。まず道路改修のため新潟市街の路面部分を廃止、そして西半分の閑散区間燕~月潟間廃止となり程なく全線廃止となってしまった。かつて一度燕から乗車してみた。国鉄弥彦線燕駅の一角にある新潟交通の駅舎。駅名看板が一部落ちていてうらぶれた感じ。来た電車もどこか古めかしい日車標準車体の系譜の辛子・わさび色をした単行の車両。軌道敷は割と低いところに引かれており川が氾濫したらひとたまりもないなと思える草茂る軌道の上をコトコト走った。上越新幹線が真傍を走り抜けていくのが見えた。どちらも同じ「電車」という乗り物なのかと不思議な気になった。

昭和58年5月1日撮影