家はずっと京阪宇治線沿線だが、80~90年代は大阪や神戸に行くとき阪急をよく利用していた。たとえば当時宇治線から京阪だけで梅田へ行く場合中書島から急行に乗りかえ淀屋橋でさらに地下鉄に乗ることになるのだが、これが結構時間がかかる。それよりは四条まで出て阪急河原町まで歩きそこから特急に乗るほうが速かった。神戸に行く場合は国鉄より時間はかかるが運賃が圧倒的に安いという理由からだった。今は大阪、神戸どちらに行くにしろ中書島に特急が停まるようになったので、京橋まで乗ってJR環状線に乗るのが速くて安いルートになった。残っている阪急の写真もその頃の物が多い。
最近すっかりご無沙汰になったのはそんな理由と京都線特急の魅力が減ったこともある。
最近すっかりご無沙汰になったのはそんな理由と京都線特急の魅力が減ったこともある。
①京都線 西院~西京極間 2300形が地下から出てくるところ 1972.11.12撮
前の近鉄の写真と同じ日に撮っている。さだかな記憶ではないが日曜日に自転車で移動していたように思う。ところで少年時代電車が地下から地上へ出る瞬間エクスタシーのような物を感じた私は変ですか。
前の近鉄の写真と同じ日に撮っている。さだかな記憶ではないが日曜日に自転車で移動していたように思う。ところで少年時代電車が地下から地上へ出る瞬間エクスタシーのような物を感じた私は変ですか。
③正雀車庫 保存車116 1981.11.3撮
車庫内に入ったわけではない。外から撮れるものを撮った。保存車ながら外からも見られる場所に置いてあった。現役の車両よりマルーンの色調が薄いような印象をもった。今はどうなっているだろうか。それからこのときすぐ横を走る国鉄東海道線から正雀車庫に引込み線が引かれていることをはじめて知った。阪急の新車の車体はどの線のものもここから搬入されて儀装されていた。
車庫内に入ったわけではない。外から撮れるものを撮った。保存車ながら外からも見られる場所に置いてあった。現役の車両よりマルーンの色調が薄いような印象をもった。今はどうなっているだろうか。それからこのときすぐ横を走る国鉄東海道線から正雀車庫に引込み線が引かれていることをはじめて知った。阪急の新車の車体はどの線のものもここから搬入されて儀装されていた。