10月に深草とともに駅名が替わる八幡市駅。
10月からは「石清水八幡宮」駅になる。(注・読み方は「いわしみず」だが岩清水ではなく石清水と書く)。現在すでに車内放送では駅名を告げた後「石清水八幡宮前です」とアナウンスされるのでその名は周知されている。改名を前にして写真を撮ってきた。
10月からは「石清水八幡宮」駅になる。(注・読み方は「いわしみず」だが岩清水ではなく石清水と書く)。現在すでに車内放送では駅名を告げた後「石清水八幡宮前です」とアナウンスされるのでその名は周知されている。改名を前にして写真を撮ってきた。
下り線
かつて「八幡町」と呼ばれていたものが1977年10月に現駅名となった。同時に交野線の「交野」も「交野市」となった。両駅とも地元がその年市制移行したことに伴って改名されたものである。京阪沿線ではその当時寝屋川・門真・守口といった駅名にそれぞれ「市」をつけるようになったのでそれに続いたものである。面白いのはその少し前八幡町の対岸にある「向日町」が市になって向日市となったのにそこを走る阪急京都線は「東向日町」「西向日町」を「東向日」「西向日」と「市」をつけずに改名したし国鉄(当時)に至っては東海道線「向日町」を改名しないまま現在に至っている。鉄道会社の考え方の違いが現れている。
1977年の八幡町→八幡市改名直前に上の写真とほぼ同じ位置から撮ったもの
かつて「八幡町」と呼ばれていたものが1977年10月に現駅名となった。同時に交野線の「交野」も「交野市」となった。両駅とも地元がその年市制移行したことに伴って改名されたものである。京阪沿線ではその当時寝屋川・門真・守口といった駅名にそれぞれ「市」をつけるようになったのでそれに続いたものである。面白いのはその少し前八幡町の対岸にある「向日町」が市になって向日市となったのにそこを走る阪急京都線は「東向日町」「西向日町」を「東向日」「西向日」と「市」をつけずに改名したし国鉄(当時)に至っては東海道線「向日町」を改名しないまま現在に至っている。鉄道会社の考え方の違いが現れている。
1977年の八幡町→八幡市改名直前に上の写真とほぼ同じ位置から撮ったもの
上り線
かつては上下線とも待避設備のある2面4線の構内だったが現在は2面2線のみとなった。昔は待避線もよく使われたようだが淀や樟葉に待避線ができてからはあまり使われることがなくなっていた。また上り線大阪寄りには留置線があって架線電圧600V時代にはそこに形式3200の車籍を持つ移動変電所が置いてあった。これも今は撤去された。
八幡市駅での待避
→ https://blogs.yahoo.co.jp/d19756236/63546218.html
かつては上下線とも待避設備のある2面4線の構内だったが現在は2面2線のみとなった。昔は待避線もよく使われたようだが淀や樟葉に待避線ができてからはあまり使われることがなくなっていた。また上り線大阪寄りには留置線があって架線電圧600V時代にはそこに形式3200の車籍を持つ移動変電所が置いてあった。これも今は撤去された。
八幡市駅での待避
→ https://blogs.yahoo.co.jp/d19756236/63546218.html
男山ケーブルもリニューアル中
撮影時点でリニューアルのため鋼索線は運休中で立ち入り・乗車はできなかったが本線ホームから様子をうかがった。それまで京阪線旧特急色を唯一残していた車両は1台ごと違う色に塗り替えられ「あかね」「こがね」と愛称がつけられることとなった。無人での試運転が繰り返されていた。明日6月19日から一般営業運転が再開される。なお、鋼索線「八幡市」「男山山上」両駅も10月に改名されそれぞれ「ケーブル八幡宮口」「ケーブル八幡宮山上」とされる予定である。
撮影時点でリニューアルのため鋼索線は運休中で立ち入り・乗車はできなかったが本線ホームから様子をうかがった。それまで京阪線旧特急色を唯一残していた車両は1台ごと違う色に塗り替えられ「あかね」「こがね」と愛称がつけられることとなった。無人での試運転が繰り返されていた。明日6月19日から一般営業運転が再開される。なお、鋼索線「八幡市」「男山山上」両駅も10月に改名されそれぞれ「ケーブル八幡宮口」「ケーブル八幡宮山上」とされる予定である。
2019.6.16撮(3枚目を除く)