弘南鉄道弘南線

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かつての阪和電鉄の名車モヨ100のなれの果てがここにいた。国有化後も国鉄で走り続け昭和42年頃引退したあと岩手県の松尾鉱業を経て弘南へやってきた。だが国鉄時代にすでに3扉ロングシート化され弘南に来てからは電装解除・片運、前面非貫通化・台車交換とすっかり原型からは変わってしまった。

地方私鉄でサハは珍しい。これは国鉄から直接払い下げを受けた元サハ17。この写真ではほぼ原型のままだがこの数年後クハ化された。昔弘南でも5連というような長編成も走っていたが過疎による旅客減で中間付随車の必要性は薄れたのだろう。 

どちらの車両も車齢の割には状態がよい印象を受けた。だがやがて元東急6000や7000が大量入線してこれらの車両はすべて姿を消した。1982年9月平賀車庫にて