和歌山線紀伊中ノ島駅?!

この写真
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1967年に誠文堂新光社から刊行された「’67国鉄新車ガイドブック」に掲載されているものである。説明に1967.8 紀伊中ノ島とある。

 

1967年当時の和歌山線時刻表
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現存する交通公社時刻表1967年8月号を借りることができた。ここにある和歌山線の頁を見ると和歌山線は田井の瀬から紀伊中ノ島・和歌山・和歌山市と走っていることがわかる。ここで注意することはここにある和歌山駅は現在紀和駅になっている駅を差し現和歌山駅ではない。現和歌山駅は当時東和歌山駅と呼ばれていた。すなわち当時の和歌山線は大半の列車が田井の瀬から西へ直進し紀伊中ノ島阪和線と交差して当時の和歌山駅へ向かっていた。そのような路線があったのだ。

 

今の立体交差部をもう一度見てみよう
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前記事の4番目の写真の場所をもう少しクローズアップしてみよう。上にある写真の橋桁部に書かれている「入信に注意」という文字が今でも読み取れる。また橋桁は上から下まで一直線ではなく下方で内側へ折れ曲がっている。これが最初の写真の場所の現在の姿であるといえる。単線ホームだがここに和歌山線の上下列車が発着していたのだ。つまりこの駅は阪和線和歌山線の乗換駅だったのだ。もはや民有地となって線路の痕跡はないが。

 

和歌山線分岐部跡
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駅から500mほど東へ歩いたところで現在の路線はぐっと左へ曲がって現和歌山駅へ向かうがかつてはここからさらに直進して先の駅ホームへと進んだのだ。今は畑地と民家しかないがその昔は紀伊中ノ島駅まで見通せていたことだろう。

 

駅ホームから西を眺める
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ホームは比較的長かったようで西の方に伸びていた。時刻表を見ると東京から来た急行列車「大和」の寝台客車1両をつないだ普通列車とういうのが走っていたりしている。5両以上の編成であったと推測する。機関車も合わせればホーム長は少なくとも130m以上あっただろう。そのホーム跡の端から西を見ると集合住宅が2棟立っているがその棟間に鉄道の高架線が見えている。和歌山市へ向かう紀勢本線の突端部だ。昔はもちろん平地を走っていただろう。この先で合流してかつての和歌山駅(現紀和駅)に至った。

 

現在の紀和駅
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近年の高架化により単線ホーム1本の小さな無人駅になってしまったがこここそが和歌山駅を名乗る市の中心駅だったのだ。かつて分岐駅としても広大な敷地を有し紀勢方面、奈良方面への列車が行きかった。地図を見れば東和歌山(現和歌山駅)からよりは県庁、市役所、繁華街に近い位置になるのがわかる。往時は多くの乗客でにぎわったことだろう。阪和線の乗客が市街へ向かうために紀伊中ノ島で乗り換えることもあったかもしれない。今は駅もその周囲も見る影もなくさびれていて寂しい限りである。

 

紀伊中ノ島駅昭和7年まず阪和電鉄の開業に当たって設置されたがその後下を走る国鉄和歌山線昭和10年に交点位置を駅としたのに伴い両者の共同駅となった。その際建てられたのが現在の駅舎である。双方が国鉄線となってからも長く連絡駅として存在してきたが今やただの中間駅である。幾多の歴史の流れを見てきた紀伊中ノ島駅に再び繁栄の日が来るだろうか?

 

下3枚の写真は2016.9.25撮