能勢電鉄47年の歳月

1976年に初めて能勢電に乗った。

30年前の写真2006・その8能勢電鉄 - awatembowの日記 (hatenadiary.com)

それからも何度か乗りに行ったことはあるが行くたびに変化を続ける鉄道であると印象を持った。上の記事に書いた1976年当時はまだローカル鉄道のにおいが残る路線だったが沿線の宅地化特に日生ニュータウンができてからは著しく進み親会社阪急を介して大阪への通勤路線へ変貌した。

上の記事の時と現在との変貌をここに記しておこう。見比べのため上の記事に載せた写真を再掲する。

 

国鉄前線

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当時朝夕だけ専用車両で運行されていた川西能勢口~川西国鉄前間の一駅は1980年に廃止され廃線跡は一般道になっていてその一角に鉄道路線があったことを示すモニュメントが建てられている。

 

②絹延橋付近

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上の記事には載せていないが川西能勢口から絹延橋まで一駅撮影しながら歩いた記憶がある。その時やってきた下り電車が上の写真である。この写真で位置特定の手掛かりとなりそうな交通標識や民家を探してみたが該当するものは見つからず雰囲気的にこのあたりだなと思って撮ったのが下の写真である.。かつてはなかった鉄柵が線路沿いに取り付けられ撮影が昔ほど気安くなくなった。

 

平野駅北方

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平野駅から妙見口寄りにある踏切北方から駅を見た写真。当時はここから単線になっていたが現在は複線化されている。古い写真では線路右方にも道路があるが複線化に伴い移設されたと思われる。平野駅もただの平面駅だったのが橋上駅舎が増設されている。電車の行き先がかつては妙見口行きとなっているが現在ここを通る全列車とも日生中央行きに変わった。

 

撮影 古 1976..6.6  新 2023.9.14