80年代の名鉄 22.地上駅時代の瀬戸線森下

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京都人は京福電鉄嵐山線のことを嵐電(らんでん)と呼ぶ。同じように名古屋人は名鉄瀬戸線のことを瀬戸電と呼ぶ。
名鉄になる前の旧社名が言い継がれているが、車両や路線が長い間旧態依然としていたためだろうか。1978年に地下線で栄町に乗り入れて面目を一新したが、地上に出てからはまだ古いままのところがあった。現在高架化されている清水~大曽根間であるが1989年当時まだ地上線だった。森下駅もこんな駅だった。名古屋市内でありながら駅舎のないホームだけの無人駅。もっとも普通だけしか停まらなかったが。京都市内を走りながらホームだけの無人駅がほとんどの嵐電と同じ? 。駅の傍には国道19号との平面交差の踏み切りがあり道路渋滞の原因だった。そして横に高架化工事が進められていた。この翌年完成して駅も高架上に移転した。
 今も半数以上がそうだが瀬戸線は吊り掛け車両が主役。6650形は一見新車のようだが足回りは吊り掛け式旧型車の再生。2連で急行に使われていた。今は4連固定化されて1編成のみの存在。3770、3780形は架線電圧昇圧のときに本線から移って来た。ここでは急行にも使われていた。こうして見てくると旧3700系の一族はひところ名鉄のどの線へ行っても出くわした。ある意味名鉄の代表車両であった。しかし今はすでにない。
 現在喜多山にある検車場が来年尾張旭に移転する予定である。それを機に車両も一新されるらしい。どうやら今走っている吊り掛け車も見納めのようだ。いよいよ名鉄から全ての吊掛車が引退するのも時間の問題か。
1989.5撮