地上を走っていた頃の京津線ははじめ急行と普通の二本立てで、急行は本線の特急と同じ色をしていた。そして浜大津からさらに石山坂本線に入り石山寺まで直通していた。停車駅は三条・御陵・山科・四宮・上栄町・浜大津それ以遠の各駅となっていた。下りは山科、上りは四宮で普通と接続していた。形式は260か300でまだ500だの600だの700だのなかった。ポール集電で吊り掛け駆動だったが速く感じられたものだった。1970年頃にパンタ化、その翌年に準急化されて山科・四宮での接続はなくなった。1975年頃から逐次普通色化されすべて浜大津行きになった。
いまや地下鉄乗り入れで車両も一新され準急も見られなくなった。そしてこのような表示板も。
こうしてみると「急」の漢字の形がどれも少しずつ違うのに気付く。
いまや地下鉄乗り入れで車両も一新され準急も見られなくなった。そしてこのような表示板も。
こうしてみると「急」の漢字の形がどれも少しずつ違うのに気付く。