この駅は1991年4月に高架立体化されたが、その移行直前の同年3月24日に見に行っている。山陽は須磨付近で瀬戸内海を見渡せてよい眺めだが、明石市内に入るとちょっと建て込んで来る。旧明石駅は建物に囲まれて埋もれてしまっているようだった。当時JRはすでに高架駅だったが、そのホームから構内をのっそりと発着する山陽電車が見おろせた。その頃は山陽の列車は4連が基本だったし、阪神や阪急からの6連の乗り入れ車はここまでは来ないし、もちろん直通特急などなかった。何か小さな私鉄が止まっているような感じで神戸高速線内でみる電車とは別の鉄道かと思えた(今ならばJRからみえる京阪山科みたいな感じかな)。
高架にしたのは周辺道路の混雑解消が大目的だったろう。しかしそれ以上に山陽にとってJRとの設備格差は乗客動向に深刻な問題だったのではないか。JRの圧倒的優位に歯止めを掛けたかったのではないか。かくして1991年からは山陽も高架駅となってJR駅と並んで都市間輸送の一翼をになう鉄道として体面を保った。これで6連にも対応でき輸送力増強に備えられる。ただ鉄道ファンとしてはJR駅からの見通しは悪くなったので残念だったが。
5000系は登場していたが当初はなぜか普通運用主体だった。特急の多くは相変わらず旧来の3000系が担っていた。おそらく阪神や阪急との乗り入れでクロスシートの5000を走らせることを歓迎されなかったのではないか。もったいない使い方をしていたものだ。写真の5000系特急も阪急三宮までで阪急線には入らない。