阪神3901形

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阪神の宿願だった西大阪線の難波延長・近鉄乗り入れは順調に工事が進み再来年春に開業の見込みとなってまずはめでたしである。このプロジェクトは戦後間もない頃に立てられて大阪万国博の頃には開業のはずだったのが遅れに遅れた。沿線地元との調整が難航したからである。だが阪神は何も手付かずでこまねいていたわけではなく準備は進められていた。

 

新線は現終点の西九条からJR環状線と安治川を高さ10m以上の高高架で跨ぎ、その後急勾配を下って地下にもぐっていくと言う計画である。これへの対応には加速減速に優れかつ勾配をスムーズに走れる車両が必要である。そこで1974年~77年にTc+M+M+Tcとなる3901形が4連3本が作られた。出力が従来の110kw/hだったのを130kw/hに上げて発電ブレーキや抑速ブレーキを装着して新線開通に備えた。

 

しかし計画は遅々として進まずいつの間にか立ち消え状態になった。3901形はせっかくの性能を生かす機会を得られずその後の増備も行なわれず12両だけの小世帯に留まった。悪いことに新性能が災いしてか第1編成は脱線トラブルが相次ぎ製造後10年で廃車され仲間は4連2本の僅か8両となってしまった。

 

阪神の特急・急行の運用は6連が基本であり、4連の3901には2連の増結が必要だった。当初やはり発電ブレーキつきの3501形2連が当てられていたが80年代に同形式が廃車されると併結できる形式が無くなってしまった。そこで自形式だけで編成を組むことになったが作れるのは6連と2連の各1本だけだった。2つの編成の3両を背中あわせにつなぎ6連とし、残ったTc2両を廃車になった第1編成の部品で電装して2連とした。2連のほうは発電ブレーキは取り外された。6連は8801形、2連は7890形と改番され一方は本線急行用、もう一方は武庫川線用と運命を分けた。

 

これらは今も走り続けている。かつての第1編成はともあれ現役車たちは悲運と言うほどのものではないが、西大阪線延伸プロジェクトがもっと早く実現していたら今ごろこの形式も主力としてさらに量産されて大活躍していたことだろう。近鉄乗り入れ対応車として昨年1000系が登場した今彼らにその本来の役割を与えられる日はもう来ないであろう。生まれるのが少し早かったようだ。

 

写真は現在7990として在籍している旧3905ほか6連の梅田行き特急。1982年5月 野田