兵庫県養父市の南端に明延という地区がある。市の中心部からは外れた山間の集落だがかつて大いににぎわった時代がある。明治の終わりにこの地に錫の鉱床が発見されその採掘のために鉱業が発展したのだが、海外の安い製品に押され1987年に閉山となった。しかしその遺跡は今も残され希望すれば坑道跡など見学できるようになっている。また鉱山で採れた鉱石を約6km離れた神子畑の選鉱場に運ぶための鉄道が整備されその車両群が今も保存されている。この鉄道には鉱石だけではなく関係者も旅客として乗ることができその際運賃として1円を払ったので「1円電車」と呼ばれるようになった。その電車をおよそ月1度くらい運転していると聞いた。7月30日が運転日と知り訪れてみた。
これが1円電車
普段は野外活動センターの一角に置かれているが、日を決めて約70mほどの線路を走らせていて蓄電池車が1台の客車(くろがね号)を引いたり押したりしている。往時と同じく1円で客車への乗車もさせてもらえる。
普段は野外活動センターの一角に置かれているが、日を決めて約70mほどの線路を走らせていて蓄電池車が1台の客車(くろがね号)を引いたり押したりしている。往時と同じく1円で客車への乗車もさせてもらえる。
その車内
車体中央にある扉から一方の車端部を撮ったもの。こじんまりしているがこれでもこの鉄道の客車の中ではもっとも大型でピカ一の客車である。扉に頭が使えそうで窓に格子がはめられて荷物車みたいだが路線のほとんどがトンネル走行だったためやむを得ない。
車体中央にある扉から一方の車端部を撮ったもの。こじんまりしているがこれでもこの鉄道の客車の中ではもっとも大型でピカ一の客車である。扉に頭が使えそうで窓に格子がはめられて荷物車みたいだが路線のほとんどがトンネル走行だったためやむを得ない。
他の保存車
あかがね号
しろがね号
どちらも先のくろがね号より小型だが単独運行ができた電車でパンタグラフもついている。地元の工場で製作したものという。大きさは中型乗用車ほどしかなく定員もそれに準じる。武骨な格好をしているがなかなか鉄道ファン心理をくすぐる存在だ。鉄道ファンなら「自宅から学校や職場へ自前の鉄道を引きそこに自家用電車を走らせる」という夢を持つがまさにこれこそ「自家用電車」の姿である。1台ほしいな。
あかがね号
しろがね号
どちらも先のくろがね号より小型だが単独運行ができた電車でパンタグラフもついている。地元の工場で製作したものという。大きさは中型乗用車ほどしかなく定員もそれに準じる。武骨な格好をしているがなかなか鉄道ファン心理をくすぐる存在だ。鉄道ファンなら「自宅から学校や職場へ自前の鉄道を引きそこに自家用電車を走らせる」という夢を持つがまさにこれこそ「自家用電車」の姿である。1台ほしいな。
鉱石運搬列車
このようなミニELが何台ものホッパー貨車に鉱物を積んで神子畑まで運んでいた。
このようなミニELが何台ものホッパー貨車に鉱物を積んで神子畑まで運んでいた。
わかば号
こちらは選鉱場のあった神子畑に保存されている車両。くろがね号より小ぶりだが車内は同じような感じだった。「わかば」という名前、確か国鉄修学旅行用電車の愛称にあった。その修学旅行用電車167系はこの車両と同じような塗色だったのを思い出した。この車両も沿線の児童を乗せていたかもしれない。
こちらは選鉱場のあった神子畑に保存されている車両。くろがね号より小ぶりだが車内は同じような感じだった。「わかば」という名前、確か国鉄修学旅行用電車の愛称にあった。その修学旅行用電車167系はこの車両と同じような塗色だったのを思い出した。この車両も沿線の児童を乗せていたかもしれない。
この地へのアクセスはJR山陰本線八鹿駅からバスがあるが数本しかない。なかなか訪れるのが難しい場所であるが、訪れてみると鉄道の存在ばかりでなくこのような場所にかつて産業が花開いていたことを知って驚くことであろう。
2017.7.30訪問