あえて低速・少量輸送必然論

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あれ以来電車に乗るのが怖くなったなどという人がいる。それに火を注ぐようにこのところ毎日鉄道のちょっとしたミスがマスコミに取り上げられる。例の路線の沿線では被害者の心情に配慮して恒例のイベントを中止するという動きが出ている。みんなちょっと考えすぎじゃないの。
 
このままでは夏の休暇の移動手段に鉄道を使う人が大幅に減ってしまうようで心配です。元来日本の鉄道は世界に冠たる正確さと安全性を誇ってきたのにそれを自国民に見捨てられるなんて実に惜しい話。

ただ鉄道に高速・大量輸送の任ばかりを求めてきたのはなんだったのか。新幹線というのは結局東京への移動をより迅速に大量にを追求したものではなかったか。それで地元は活性化したのか。ストロー現象で地方のマンパワーを吸い取られていくだけではなかったか。地方都市がどこもミニ東京化していくのを加速させたのではなかったか。

実は旧来からのその地方独自の人・時間の流れ、生活リズムがあってそれが文化土壌を培ってきた。そこには高速でも大量でもない程よいサイズの輸送手段の存在意義があったのではないか。そういうものがあったから大都市の文化の流入に頼らなくても地方自身の力で文化を創造できていたと思えてならない。もはや失われた小鉄道は帰ってこないが、ノスタルジーではなく小さな鉄道が独自の地方振興の血管として生きるべきだと人々が気づいて欲しかった。