野上電鉄の車両

以前にも野上の記事を載せている
1984/和歌山紀行その1・野上電鉄 - awatembowの日記 (hatenadiary.com)
それからもう一度訪れている。廃止のうわさが取りざたされるようになった1992年1月4日であった。その2年後3月末をもって廃止、会社解散となったので図らずもこれが最後の訪問になった。廃止までのいきさつは哀れなものだったが詳細は他稿に譲る。今なぜこの鉄道を取り上げるかというともうすぐひとつの企業グループとなる阪急・阪神にかかわりがあるからである。実はその昔ここには阪急・阪神の旧型車の車体が共生していたのである。もっとも数の上では元阪神のほうが圧倒的で元阪急はたった1両だけだったのだが。残念ながら私が訪れたときも阪神の車両しか出会わず阪急の車両には出会えなかった。が、いずれにせよ今の二つの電鉄の将来を暗示していたようで面白い。

 

しかしその阪神車両とて貴重な車両だった。阪神は大手の中では比較的早くに車両の新性能化を達成して余剰となった車両が1960年代前半に各地に散っていったが、その中で野上のものは最後まで生き残った。この2回目の訪問日のときくしくも24と32を撮っている。(32については前回の記事でも出している)
①正面5枚窓の24 日方にて。
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撮影時24は明治チョコの広告塗装にされていた。そばを紀勢線のくろしおが通る。

 

②側窓に明かり窓がついていた32 動木(とどろき)にて
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 明かり窓が見えるだろうか。

 

いずれも往年の阪神車両独自の特徴を残している。この2つの車両は野上廃止後再び阪神に引き取られ、登場当時の姿に戻されて今は尼崎センタープール前の高架下で保存されている。
参照→http://www.hanshin.co.jp/railfan/2640.htm
オールドファンには現状の登場時のマルーン一色がふさわしいと思う。マルーン一色…、何のことはない。かつて阪神はライバル阪急と同系等の色にしていたのだ。その日からすでに今の日を運命付けられていたのか?…