JR西日本 和田岬線キハ35

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

尼崎港線、高砂線、飾磨港線など関西で湾岸へ向かう小支線はJR化を待たずに相次いで廃止になってしまい和田岬線も後を追うかなどと思っていたこともあるがJRになっても引き継がれた。しかし2001年神戸市営地下鉄海岸線が開通し和田岬駅ができたときはさすがに和田岬線の命運尽きたりの感があった。ところがなんと電化され103系電車が入線しアーバンネットワークの一端となって現在に至っている。意外にも和田岬線は黒字経営なのだそうだ。もちろん三菱重工の職員輸送によるところが大きい。

 

電化されるまでは同線専用の改造を施されたキハ35・キクハ35が使われていた。水色にマルーンの帯というよそでは見られないいでたちだった。短距離の平坦区間輸送と言うことで2両のうち1両は付随車になった。また和田岬に向かって車体左側は兵庫・和田岬ともホームに接しないので3つの客扉のうち2つが埋められた。たった一駅ということで冷房もついていない。

 

純粋な通勤路線であり何が面白い線でもないがJR路線である以上鉄チャンとして乗りつぶしから外すわけには行かない。平日に訪れることはできず1993年3月21日日曜日に乗りに行った。休日は朝夕各1本の2本しかない。行きは兵庫から和田岬まで線路沿いの道を歩いた。川崎重工の門越しに車両が置いてあるのが見えた。なにやら外国向けの車両のようだったが詳細不明。ちょっと撮影は難しい位置。運河を渡る橋が回転式であることに気付く。雑然とした町並みが見えたと思うとその中に和田岬駅はあった。当時は有人駅で駅員から切符を購入したら手書きの券だった。降車時駅員に渡してしまった。のちに無人化されると分かっていたらもらっておくんだった。17時30分発の兵庫行きに乗った。満員ではないがサラリーマンらしき人たちが結構乗ってきた。それほど速度も出ないうちに5分ほどで兵庫着。

 

和田岬に到着した2連列車。折り返し兵庫行きになる。この当時機回し線もあった。
②キクハ35車内。向かって右側扉が埋められているのが分かる。
③兵庫着。当時地平上のホームだった。古めかしい上屋である。