島原鉄道

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えっ、国鉄車両じゃないかって?。いいえ私鉄です。長崎県島原半島を海岸に沿って半周している島原鉄道です。かつては国鉄仕様の車両を自前で作って急行を走らせ諫早から国鉄のDCと併結して長崎や博多まで乗り入れていた。またその後国鉄の中古を買い入れて走らせていた。今も旧国鉄キハ20やJR九州のキハ125の同系車が走っている。だから国鉄の一支線のような感じである。それはこの会社の物持ちのよさからであろう。(これも1976年3月の撮影)

今東京の交通博物館に展示保存されている1号機関車は鉄道省での役目を終えた後島原鉄道に払い下げられている。それは島鉄で大事に扱われ昭和になるまで生き長らえた。やがて東京に交通博物館が開設されることになり1号機関車を保存しようということになった。鉄道省の申し入れにより別の機関車との交換を条件に返還された。当時の島鉄社長の惜別の辞が記されたプレートが今も同機に取り付けられている。

しかし元来島原半島は自然災害の多いところで、水害や雲仙の噴火などこの鉄道は幾多の被害を受けてきた。戦後間もないころ水害によって路線が寸断されその復旧作業にあたっていたとき沿線からいくつもの古代のものと見られる土器が出てきた。島鉄の役員宮崎康平はそれに天啓を受け、視力を失いつつも妻の助力に支えられて考古学の研究に打ち込み独自の調査により、島原こそがあの邪馬台国のあった場所だとする「幻の邪馬台国」を記した。この本は50万部を売るベストセラーとなった。

1991年雲仙普賢岳の噴火によってまたもこの路線は寸断され長く運休を強いられた。しかし再び復旧し今また元気に走っている。ところが近年沿線の過疎化が進み、南島原以南の廃止が取りざたされる昨今である。天災に見舞われるたびに関係者の方々の血のにじむ尽力で走り続けてきたのに、人為的な理由で廃止となればあまりにも惜しい話である。いまやどこの鉄道でも聴く話ではあるが、何とかこの物持ちのよい会社をいつまでも残したいものである。