関西1デイパスの旅・その2・別府鉄道廃線跡探訪 前編

汝窯展を見終わってなにわ橋から再び京阪で中之島へ。そこから新福島まで歩きJRで東西、東海道山陽線を経て加古川へひとっ飛び。11時前に京阪に乗って12時過ぎには加古川に着く。速くなったものだ。

 

加古川駅
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昨年播磨町に保存されている別府鉄道の車両を見に行っている。
播磨路の鉄・2、旧別府鉄道の車輌 - awatembowの日記 (hatenadiary.com)
しかしその後の調べで他にも別府鉄道の車両が保存されていてさらに路線の痕跡がいくつか残されていることを知り、今回それらをまとめて見に行くことにした。加古川駅にはレンタサイクルがありこれを利用しない手はない。翌朝10時までの使用で1台300円、安い。今回は野口線跡を主に探すこととし東南の方向へ向かう。

 

国鉄野口駅跡
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加古川から高砂線で一駅目が野口で別府鉄道はここから出ていた。今やどちらも廃止され官庁関連の施設が建ち並んでいるが駅跡のモニュメントがある。国鉄野口駅跡と記した石碑、駅名表、10m程度の線路と車止め、気動車用動力台車(多分DT22)が置かれている。駅名表の裏には野口駅の沿革(右上)が記されている。

 

線路跡の遊歩道
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野口線の線路跡は大部分が遊歩道「松風こみち」として整備されていて線路は残されていないが所在は今もよくわかる。野口駅跡を少し下がったところから遊歩道は始まっており案内板が立っている(右下)。この道が別府鉄道の線路跡であることが記されている。なおここから分岐した国鉄高砂線の跡も鶴林新道として整備されている。

 

鶴林寺公園内に保存されるSL C11 311
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別府鉄道の線路跡へ行く前にちょっと国鉄高砂線跡のほうへ寄り道。野口の次は鶴林寺という駅であった。鶴林寺という寺が鉄道なき今もありこの横を鉄道が通っていたことを伺わせる。寺の北側は「鶴林寺公園」となっているがその一角にC11型蒸気機関車が保存されている。本来傍まで近寄れるのだが、訪問時はすぐ横に建物を建設工事中だったため立ち入りできず柵越しにこのような写真を撮るのがやっとだった。

 

鉄橋跡
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別府鉄道跡に戻って松風こみちへ進む。こみちが始まってまもなく別府川を渡る橋がある。あきらかに単線鉄道用のものである。現在人道用に転用されている。

 

キハ2
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鉄橋から1kmほど直進したところに小さな児童公園があるがこの一角にかつて野口線で走っていたキハ2が静態保存されている。柵が張られて内部に立ち入れなくなっているが保存状態は良好とはいえずガラスが割れたり窓枠が朽ちていたりしていた。この車両には現役時代乗ったことがある。現役時代の写真
1974.9.29別府鉄道初訪問 - awatembowの日記 (hatenadiary.com)

 

円長寺駅名表 
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キハ2保存場所の片隅にさび付いた駅名表がある。ここが円長寺駅の跡地だったらしい。近くにはその名の由来となった寺がある。

 

踏切跡
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円長寺のもう少し先の交差点には踏切であったことを教える線路跡が今も残る。普通こういうものはアスファルトで埋めてしまうものだが、わざと残したように思われる。踏切跡はこの先にももう一箇所ある。

 

このあと国道250号線山陽新幹線山陽電鉄と交差してかつての終点別府港に到着する。その線路跡はこみちとして続いていて解りやすいのだが目立ったモニュメントはもう見られない。しかし

 

今もある「別府鉄道」
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別府鉄道を名乗る会社は現在もある。もはや鉄道の実体は持っていないがタクシー会社として存続しているのである。位置関係から推測するとこの敷地がかつて別府港駅の駅舎があった場所と思われる。その先には親会社である多木化学の工場が建っている。

 

2010.1.24探訪