五新線遺構を歩く その1

先日春のセンバツ高校野球大会は奈良代表智辯学園の優勝で幕を閉じた。その報も耳新しい4月3日 智辯学園の所在地奈良県五條市を訪れた。と言っても同学園へ行くためではない。

 

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JR五条駅構内には「まぼろしの五新線に夢を乗せて」というテーマで中高校生の製作した絵画が2つ掲示されている。五新線(五新鉄道との表記もある)… 聞きなれないが鉄道路線の名称である。ただし実在はしなかった。明治のころから奈良県五條市和歌山県新宮市を結ぶ鉄道の構想が練られ昭和になって工事が始まった。しかし戦争で中断、戦後再開されるも他の事業の後塵を拝し道床の建設までに留まる。やがて昭和56年の国鉄再建法施行により工事は凍結されてしまってついに日の目を見ることはなかった。完成された道床の一部はバス専用道路にされて路線バスが運行されていたが一昨年その路線も廃止されてしまった。悲劇の路線になってしまったが地元の人は今も見果てぬ夢を忘れてはいない。

 

その遺構を探して歩いてみよう
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五条駅から和歌山方面に向かって1.5kmほどのところに広場がありそこから南の方へ曲がりながら分かれていく道が伸びていた。ここが和歌山線との分岐部になるところだった。

 

その先には
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町中を見下ろすように単線分の高架が取り壊されることなく残っている。ああ、これだけの建築物が現在何の使い道もないままなんて…。

 

国道24号線との交差
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高架のまま街を南下し国道24号をまたぐ。線路敷設の際には鉄橋を掛けるつもりだったのだろう。橋脚が円形のアーチを描いているのが今となってはオブジェとしての存在感がある。

 

新町通りとの交差
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国道24号の南手には江戸時代からの古い町並みが残る新町通りが並行しているがこれもまたぐ。ここの橋脚には五新鉄道を紹介する説明板が取り付けられている。このすぐ先で吉野川の川べりへ出て高架はそこで途切れている。

 

向う岸を望む
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堤防に上がり向う岸を見ると桜の木の右手に橋脚らしき遺構が一つだけ建っている。橋梁こそ架けられなかったが建設はこの先にも続けられたようだ。向う岸にも行ってみなくては!

 

(つづく)