水島臨海鉄道1977

ここまで岡山地区の鉄道の記事をいくつか記しているが順不同のため前後していることをお許しいただきたい。行程記録を見直してみると「1日目」前回記した片上鉄道その1の後岡山へ行き(泊)
「2日目」岡山臨港鉄道に乗った。
そのときの記事⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/d19756236/6870686.html
国鉄で宇野まで行きバスで児島へ。そこから下津井電鉄に乗って鷲羽山へ(泊)
「3日目」鷲羽山から下津井へ行き写真を撮って
(記事⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/d19756236/5033643.html?p=4&pm=l)
児島へ引き返し倉敷までバス。そしてこれから記す水島臨海鉄道に乗るのである。

 

この鉄道は現存し今では珍しくなった旅客・貨物兼業輸送をする民営鉄道である。当時もそうだったがその頃は貨物輸送が主で特に終点の三菱自工からの貨物が大きかった。それで旅客列車の本数は今ほどはなかったと記憶する。今は国鉄払い下げのキハ20が一両残っている以外は新潟トランシス製の軽快気動車に変わった。往時は国鉄や他私鉄からの譲渡車ばかりだった。旅客扱いは倉敷市から三菱自工前まで10.4kmだが末端の一駅水島~三菱自工前間は朝夕ラッシュ時のみの扱いであり、私もその区間はいまだに乗れていない。 

 

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国鉄キハ07を譲り受けたキハ320、水島にて。私はたまたまこの車両に乗ったが、すでに国鉄キハ10払い下げのキハ350が入線しており主力になっていた。

 

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②1970年廃止になった夕張鉄道から来たキハ304他3連。ヘッドライト下のタイフォンの形が特異。日中はあまり動かずラッシュ用だったようだ。

 

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③貨車輸送用のDD506、自社発注車。後年の写真を見るとJRのDLとよく似た塗り分になっているが当時はそのような色はなかった

 

すべて1977.3.28撮影