樽見鉄道・付け足し

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1989年年号が平成に改まった年、初頭に美濃神海から樽見までの延伸工事が完成し名実ともに樽見鉄道となった。樽見には駅近くに薄墨桜の古木があり4月には見事な花を咲かせる。私もその年4月開業間もない新線に乗って薄墨桜を見に行こうと思い立ち、見ごろの日曜日出かけることにした。妻も誘ったら喜んで弁当を作ってくれ一緒に行くことになった。家からだと大垣へ回るのはやや遠回りになるので本巣まで車で行き駅近くに置いてそこから樽見鉄道に乗ることにした。

 

やはり新線に乗って樽見へ花見に行こうという物見高い人たちが詰め掛けて、樽見鉄道も臨時列車を増発した。この日のために「うすずみ号」という自前で改造したパノラマ車を組み込んだ客車列車を投入し、それでも追いつかずこの期間だけJRから12系客車6連を借り入れてそれらのフル運転で客を捌いていた。

 

本巣は車庫や工場があり交換設備もある主要駅だが旅客扱い量はそれほど大きくもないこじんまりした駅舎である。着いてみると思いのほか賑わっている。やはりここから乗ろうとする人はいたのだ。そこへ情報が入ってきた。今ほど予定通り下り列車は大垣を出発したが満員で積み残しが出た。大垣のホームは積み残し客であふれている。列車はこの駅にも停車するが乗車できないこともあるかも知れないと。やがて列車はやってきた。うすずみ号をつないだ客車列車だった。案の定超満員である。扉が開いたがデッキまでぎゅうぎゅうでもはやこれ以上は入れなかった。駅で待っていた何人かは乗り込んだが私たちはじめ多くはあきらめた。やがて下り列車は逃げるように出て行った。

 

20分ほどして向こうから上り大垣行きが来た。12系客車だ。(写真)これは空いていた。大垣から折り返し下り樽見行きになる。そこでひとまず大垣まで行ってそこから引き返そうと考えた。一本遅れたがこれにそのまま乗っていればいいのだ。と、大垣まで乗って考えが甘かったことを思い知らされた。ホームを見て驚いた。大都市の通勤時間並の混雑。そこへ車掌か駅員かが回ってきて乗っている者はすべて降りるよう促された。私たちが降りた後ホームの群集は列車に吸い込まれたちまち先の列車と同じような状態になった。もはや立錐の余地なし。また次まで一時間以上待たねばならない羽目になった。もう昼時だ。さすがにそこまでの根性はなかった。不本意ながら樽見行きはあきらめて大垣城のそばの公園で弁当を広げてささやかな花見をした。

 

何年後だったか梅小路のC56を借りてSL列車を走らせたこともあった。あれこれアイデアで客を呼んだ。それから十数年、花見の頃といえ当時ほどの賑わいはもはやなく臨時の客車列車に乗客はまばらという。貨物列車が廃止されるのに連座して客車列車の存続も怪しくなってきた。うすずみ号の編成も今はない。
貨物収入がなくなる後活路は旅客輸送にあるのだろうか。考えてみればレールバス一台の運行で事足りるほどの輸送量の鉄道の経営状態が楽なはずがない。明日の樽見鉄道、薄墨の古木のように地元にしっかり根付いて末永く存続して欲しいのだが…。