やはり国鉄型気動車②58系・山陰線京都口

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山陰線は未だに半分以上未電化であり、電化区間も2ブロックに分断されたままである。その山陰線の初めて電化されたのは伯耆大山出雲市だった。入り口である京都府下が電化されたのは平成になってからだった。そんなわけで平成2年園部電化までは特急から普通までDCの独壇場だった。京都から山陰線をまっすぐ進むのは特急「あさしお」の役目だったが、急行「丹後」は綾部から舞鶴線に入りさらに宮津線(今の北近畿タンゴ鉄道)、小浜線へ向かうという支線連絡の役目だった。それでも58系を用いているだけあって急行「丹後」にはG車も連結されており京都を発車する時は7~8連ほどで壮観であった。この急行も電化とともに消えていった。

 

①1980.4撮 嵯峨~保津峡間 下り「丹後」、山桜のもとトンネルに入る手前。この区間は電化の際複線の新線が作られこの旧線はトロッコ鉄道の路線に転用された。なお現在の「嵯峨嵐山」駅はこの当時「嵯峨」駅だった。
②1990.3.4 二条 58系使用の普通京都行きが止まっているところへ向こうから園部電化に伴い廃止直前の「丹後」が入線してきた。58系同士の交換は少し珍しい。二条駅もまだ地上駅で広い構内だった。ホームの向こうには貨車の留置線があった。
③1990.3.4 二条 到着した「丹後」の連結部。Gマーク、行き先標、列車サボ、号車番号などもう見られないものばかり