山陰線は未だに半分以上未電化であり、電化区間も2ブロックに分断されたままである。その山陰線の初めて電化されたのは伯耆大山~出雲市だった。入り口である京都府下が電化されたのは平成になってからだった。そんなわけで平成2年園部電化までは特急から普通までDCの独壇場だった。京都から山陰線をまっすぐ進むのは特急「あさしお」の役目だったが、急行「丹後」は綾部から舞鶴線に入りさらに宮津線(今の北近畿タンゴ鉄道)、小浜線へ向かうという支線連絡の役目だった。それでも58系を用いているだけあって急行「丹後」にはG車も連結されており京都を発車する時は7~8連ほどで壮観であった。この急行も電化とともに消えていった。