近鉄伊賀線廃止部分

夏の暑いのに突如廃線跡探訪をしたくなった。近鉄伊賀線の今の終点は伊賀神戸だが、その行き止まりから西方向へまだ路線が延びていたことが伺える。かつてここからさらに西名張まで路線があった。名張へ行く旅客はほとんど伊賀神戸大阪線に乗り換えるためそのまま乗り通す客は少なく1964年に部分廃止となった。近鉄大阪線でここを通過するたびにこの廃線跡が見えるのが気になり、1994年仕事の盆休みの一日行って見た。伊賀神戸を降りて伊賀線終端部から伸びている路線跡らしき道を歩く。左端の赤茶けた道がそれである。
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やがて大阪線をアンダークロスして南側へ出る。大阪線伊賀神戸から名張までは南西にほぼ直線に進んでいるが、この線はそれを大きく南へ迂回したルートを取っていた。車窓から見えるのはこのあたりまでで、その先は木立の向こう側になって見えなくなる。さらに歩いていくと築堤跡が残っている。しかしその上はびっしりと藪が茂っておりとても歩けそうにないので追いながら近くの農道を通る。やがて築堤は西方向へ曲がる。その付近では一部歩ける部分がある。小さな用水路を跨ぐ石積み橋跡が見られた.
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しかし再び藪の中となる。かき分けて入ってマムシの餌食になりたくない。近傍の道を歩いていくと線路跡はどこからか切り通しの下になった。これもびっしり竹やぶになっていて下の地面は見えない。古い地図によるとその先に小さなトンネルがあったはずなのだがとても下りて確かめられない。すでに埋められたのかも知れない。トンネルの反対側に出るが、こちらも全く痕跡なし。見渡す限りの農地のなかに小さな古墳があるだけだ。それでも路線跡と推測される方向に歩を進めると小さな川を渡る鉄橋跡があった.
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川に斜めに掛かっているのが珍しい。しかし痕跡を認められるのはここまでで、後はもう農地の中である。路線はこの先北西に進み再び大阪線に接近する。伊賀線をまたいだと見られる大阪線の橋梁は道路橋に転用されまた拡幅されているようで往時の面影はうかがえない。暑さでこれ以上歩くのは限界だった。と、その広い道路の傍にバス停があった。近鉄名張行きの路線である。時刻表を見るとまもなく来る。ラッキー、きょうはもうこれまで。1994.8.16撮

 

今や伊賀線の残存部分も存続の岐路に立たされている。何とか旅客を増やさなくては。