JR関西線加茂駅今昔

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現在は難波方面への電車列車が発着しアーバンネットワークの一端に位置する駅ですが昔は農村の駅でした。しかし駅構内は広くはるか昔ここから延びていた関西鉄道大仏線を通過する列車のために補機をつないだりしたため機関庫、ターンテーブル、給水塔などがありかなり後まで残っていました。
またここは伊賀方面と信楽・水口方面への岐路にあたり昔から交通の要所でした。往時はここから信楽や水口に行く国鉄バス路線がありました。JRになってからも引き継がれていましたがいつのまにか無くなっています。
子供の頃ここでバスに乗り換えて信楽に行ったことがあります。そのときに親が撮った写真があります。時は1972年4月29日、昭和天皇ご在位の頃は晴れの日が多いといわれていた旧天皇誕生日です。駅舎はご覧のような木造の時代がかった建物。昭和よりもまだ古そうです。国鉄の頃は地方の駅を改装する余裕はとてもなかったのでしょう、こんな駅舎は京都府下よく見られました。これから乗ろうとする国鉄バスも懐かしい塗装です。乗るのは信楽までですが、水口まで走ります。完乗はのり応えあるでしょう。狭い山道をうねうね走ったように覚えてます。信楽まで1時間くらいだったでしょうか。信楽の町に入ってタヌキの置物がたくさん見えたときはホッとしました。国鉄バスはかなり後までツーマン車が多く残ってました。組合が強かったから? しかし地方のバスにとって道路が改良されるのは良いことでしょうか? 道が良くなる→マイカーが増える→バスに乗る人が減る→廃線、というパターンがお決まりのように思えます。すごい隘路を走ってこそバスは地方の公共輸送を担っていられると考えるのは穿っている?
現在の加茂駅の写真も出しておきます。見比べて時代の流れを感じるとともにこの立派になった駅前広場にJRバスが来なくなったというパラドックスをお感じになってください。