急行・能登路

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今はさびしくなった能登半島の鉄道網。かつては輪島や珠洲蛸島まで延びていた線路は穴水で打ち止めになってしまった。2001年3月でまず穴水~輪島間が廃止になったが、その約1ヶ月前の2月の連休に同区間を乗りに行った。なお行くときは「白鳥」に乗ったがこれも懐かしいハナシ。七尾までは雪もなく晴天だったが、のと鉄道に乗り換えて穴水まで来ると雪がちらついている。そして輪島へ向かう線路に入るとまずは勾配区間、その間も雪は続きさらに強くなっていく。やがて10m先が見通せないほどの吹雪となる。輪島に着いたときは日も暮れかけていたが車体は真っ白だった。なるほどこの区間存続には大変なコストがかかる。

 

翌日帰りは輪島始発で金沢まで直行の急行「能登路」に乗った。一日3往復あるがその中で一本だけ輪島まで走るものだ。午前11時頃に輪島を出て約2時間20分ほどかけて金沢まで走る。車両は金沢区能登路色と呼ばれる黄色ベースに塗られた58系DC2連である。相変わらず雪が降っている。輪島の駅名表は終着にはなっていなかった。その先には「シベリア」と書かれていた。ホーム一本の輪島駅をけたたましいエンジン音を轟かせて離れていった。車内はほぼ満席だった。アコモ改善されているが昔ながらの向かい合わせのボックスシートは時代を感じる。向かいに座っているのは壮年夫婦。どちらからともなく声をかける。「すごい雪ですね」「うん、でも今日はまだマシなほうですよ」「へえそうなんですか。もっと降っていてもちゃんと走るんですか」…。かつてはこんな具合にボックスシートから旅の出会いが始まったものだ。穴水着。接続のため10分近く停車。少しホームに出る。まだ雪はやまないまま七尾湾沿いにでる。そして和倉温泉に着く。ここまで来るとホームに積もった雪は残っているが降っていない。同じ石川県でも違うのだ。電化区間に入ると制限速度の違いのせいか穏やかな天候のせいか飛ばしだす。これで急行らしい走りになった。そして金沢定刻着。雪の日に乗り換えなしでここまで来れるのは価値があると思った。しかしこの列車も穴水~輪島間とともに消え、その翌年には「能登路」は完全に姿を消した。現在穴水から金沢までの直通というのは一本もない。能登半島には有料道路が整備されアクセスは便利になっただろう。だが鉄道で奥能登は遠い存在になってしまった。

 

①輪島で
②穴水で
どちらも2001.2.12撮