将軍家への献上 鍋島

先月より大阪市立東洋陶磁美術館で開かれている特別展、なかなか見に行く機に恵まれず、やっと行くことが出来た。日本陶磁の中でも出色の作品が集められているというのだ、佐賀鍋島藩は将軍家へ当初中国から輸入した陶磁器を献上していたが中国の国内事情により輸入できなくなり、自前の献上品専門の藩窯を開いて優秀な陶工を集めて採算度外視で手の込んだ陶芸作品を徳川時代を通じて作っていた。それらの作品群が「鍋島」と呼ばれるものである。3代将軍家光の時代から始まって大政奉還まで続いた。その技術は窮めて高度でその技術の流出は厳しく制限された。当時としてはハイテク工場でシリコンバレーのような工場地帯だったといっていい。一地方藩の財力でまかなうのは大変だったろうが将軍家のめがねにかなった製品の供給源としてブランド品の地位を築き上げた。特に綱吉の時代にもっとも栄華を極めた。染付けに呉須を惜しみなく使い濃淡の表現、細かな文様に目を見張る。赤、緑、黄などの色もふんだんに使われている。染付けで文様を焼いた後部分的に青磁をかけて色合いを引き立たせている手の込んだものもある。8代吉宗の時代、倹約令が出され色の華やかなものは禁止されたときも染付け・青磁の組み合わせというフォルムは続けられた。しかし吉宗は世の中には倹約令を出しておきながら自分個人用としてひそかに極彩色の壷など作らせて一人悦にいっていたようだ。古来より政治家が倹約、緊縮財政などというとろくなことがなく言い出しっぺだけはいい思いをすると相場が決まっているようだ。倹約令も田沼意次の時代に解かれ10代家治ば蒐集家でいろいろなものを作らせていたようだ。この頃には鍋島の窯も場所が変わり再び色物も焼かれ、さまざまな形のものが作られた。だがその後幕府の弱体化により鍋島の生産性も下がりやがて幕末と供に鍋島の藩窯は閉鎖されるのである。

 

普段の常設展示のスペースもかなり使って相当数の出展で見ごたえがあった。日曜日に行ったのだがそれにしても盛況であった。観覧には約2時間半要した。25日で終わりである。4月からは福島県で開催されるとの事。