蔵出し写真・1972年阪和線快速電車

70年代半ばころまで阪和線も旧型国電の溜まり場だった。そんな中1972年3月の山陽新幹線開通に伴うダイヤ改正阪和線に新快速が登場となった。東海道山陽線の新快速の好評に気をよくして阪和線にもと言うわけだ。車両は阪和線お初の113系の6連で東海道・山陽の新快速153系と同様の塗色にされた(当時は新快速色といわれた)。というもののこれも他線からの転用だったが、旧国ばかりの阪和線では新型に映った。天王寺~和歌山間1時間に1本停車駅は鳳だけで45分と特急並の俊足でこれは現在の紀州路快速より速い。
113系新快速前面、天王寺にて 
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なぜか方向幕が天王寺ー鳳になっているが和歌山まで行きます。写真だけ撮って乗らず実際乗ったのは鳳からこの次のもの

 

客を南海に取られっぱなしだった天王子局の意気込みが伺えた。しかしそれ以外の電車はまだ103系が少数入っていたがほかは大半が旧国だった。新快速の下に快速・区間快速とあったが快速は70系または103系区間快速はオレンジ色のゲタ電だった。

 

新快速が出来て間もない3月下旬の春休みにこれを乗りに行っている。始発から乗ればよいものを鳳までは区間快速に乗ってそこから和歌山まで乗った。
区間快速和歌山行き、鳳にてクモハ60他
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ゲタ電に揺られた後だけに113系がとても快適に感じられた。しかし思ったのは阪和線は閉塞区間が短いのだろうか。何度か信号停車や徐行があり、列車密度の多さを感じた。これでよく45分で走れるものだ。

 

かなり無理をしたダイヤだったのかその後数年で新快速は停車駅を増やしていった。103系が増備され70系が快速から撤退すると新快速と快速の時間的差異も少なくなり新快速の意義が薄れていき10年ほどで阪和線の新快速は姿を消した。しかしその塗色は本家の東海道・山陽の153系新快速が引退した後も阪和線で使われ続け、今ではこれを阪和色と言うようになった。その113系も余命は長くはなさそうだが、今もこの色を見るとあのときの駿足が思い浮かぶのである。

 

1972年3.26撮