安宅英一の眼

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久しぶりに大阪の東洋陶磁美術館へ行った。只今開館25周年記念特別展として「安宅英一の眼、安宅コレクション 美の求道者」をやっている。もとよりこの美術館の所蔵品の中核は安宅英一その人が商社会長という地位を利用して買い集めた韓国・中国の陶磁器群である。今更なにをわざわざ収集者の名を冠した特別展を開く必要があるのか、どうせいつも展示してあるものを並べ替えただけだろうなどと高をくくっていて足が向かなかったのである。しかし見に行った人からよかったと賞賛の声を聞きその人から買い損なった図録を買ってきて欲しいと頼まれていくことにした。

 

まず安宅英一という人は明治の官営八幡製鉄所指定問屋(のちの商社)の一つとして財をなした安宅産業創始者の長男として生まれた人である。生来芸術家肌で若き日には音楽家となるのを夢見てピアノを学んでいる。父親もそんな彼を後継者とはせず次男を会社経営につかせた。しかし次男経営のもとで不満を募らせた一部の幹部から会長に担ぎ出され自らは実務には参画せず懐刀である人物を社長にさせて実権を握った。やがて創業者の長男として権限をほしいままにし会長退任後も会社の資金であちこちの美術商から韓国・中国の陶磁を集めることに心血を注ぎ「安宅コレクション」を形作った。他にもクラシック音楽への傾倒も並ならぬものがあり数人の演奏家パトロンとなり東京芸大の優秀な学生に贈られる奨学金「安宅賞」を創設した。

 

今回の展示はこのような時代の流れを踏まえて彼の蒐集した年代順に作品が並べられている。戦後間もない頃からまず韓国陶磁を主に蒐集が始まるがやはり最初は暗中模索と見えて玉石混交と言う感じであった。そして翡色青磁の神秘的青さや朝鮮白磁の濁りなき白さに出会ってその審美眼を強めていったのが分かる。60年代になると一定以上のレベルの作品を探すようになり、眼力に適ったものは性急さはないが時間をかけて必ず手に入れるという押しの強さを発揮していく。蒐集対象は中国陶磁にも広がりその第一人者である中国人の美術商かつコレクターである仇氏とコンビを組み、また商社ならではの情報力を駆使して世界中のオークションにかけられる普通ならちょっと手が出せないような名品を次々とものにしていく。その頃こそが彼の最良の日々であったことだろう。やはりその辺のものの前では足が止まる。

 

1977年安宅産業はカナダの石油精製事業投資に失敗したことが命取りとなり住友銀行の仲介により伊藤忠商事に吸収合併され70年の歴史を閉じた。そのときに債権管理者の手に渡った膨大な「安宅コレクション」には国宝や重要文化財も含まれており去就について国会でも審議されるほどであった。住友グループが一旦買い上げて大阪市に寄付を申し出そのための美術館を建設することで決着した。蒐集の経緯の是非はともあれ美術的価値から見れば逸品ぞろいのコレクションは散逸を免れたのである。のちにこの美術館を訪ねた安宅英一は「これだけのコレクションが人手に渡ってさぞやお力落としのことでしょう」と問い掛けられたのに対し「コレクションは誰が持っても同じことでしょう」と言ったと言われる。彼本人もゆくゆくは自らの手で美術館を作るのが夢だったのであろう。

 

彼は手に入れたものを箱に包み倉庫にしまって置くようなことはしなかった。どのような空間でどれほどの採光でどこの位置から眺めると最も輝いて見えるかを細かく考察してそしてその中でも輝くものを大切にした。あいにく彼自身はその詳細を記述には残していないが、彼の下で蒐集・保管に尽力した伊藤郁太郎氏が今美術館館長となってその真髄を受け継ぎ彼の陶磁器鑑賞の条件を美術館の設備内で蘇らせるべく研究されている。その伊藤氏が各展示物にまつわる逸話も記されており美術的考察だけでなくその物と安宅とのかかわりや安宅の生き様がイメージできるのが理解を一層深めるのに役立つ。

 

そんなわけで見終ってから、ここの展示を一度見たことある人こそコレクション当事者とのかかわりを知りその気分に浸るために今一度訪れるべき催しであると思い直した次第である。
大阪市立東洋陶磁美術館にて9月30日まで開催